安政では安政の大獄が浮かびますが、安政の大地震もかなりのものであったようです。
『すごろくで学ぶ安政の大地震』石川寛 (監修), 平井 敬 (著)、風媒社 (2021/11/30)
に双六で解説がありました。 安政の大地震とは、安政元年(1854)に冬の安政東海地震と、翌日の安政南海地震のことです。別の日ですが、一体のものとして考えられています。マグニチュード8.4と推定されているとして、死者数千人の被害で、翌安政2年には江戸に安政江戸地震が起こっています。
相次ぐ災害や討幕運動に加えて外国からの開国圧力にさらされた幕府は疲弊し、やがて時代は明治維新へと向かいます。
とのことです。地震はなまずが起こすとしても外敵に相当するので、当時、攘夷運動が起こっても当然のような気がします。安政地震の復興に幕府はかなりの負担になったことも想像されます。幕府は対応がとれなくなってしまったということです。公武合体、大政奉還、江戸城無血開城など、幕府の軟弱さを感じてましたが、安政の大地震で自滅したと考えることもできそうに思われます。しかし、幕末の歴史では、安政の大地震が重要な歴史とされず、無視されてしまってると感じました。明治政府がすごいのではなく、江戸幕府が弱体化してるだけかもしれません。
地震調査研究推進本部というのがあるようです。そこに以下の図があります。
図の下が安政の大地震ですが、一番上の684白鳳(天武)地震の赤線があります。七世紀当時の政治経済に影響を与えた可能性もあるのでメモっておきます(地震で体制崩壊もありうるので)。
ウィキペディアに安政の大地震があります。
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