2019年9月2日月曜日

川原寺から思うこと

 川原寺については、川原寺跡が詳しい。
その中で、川原寺の謎が三点あげられています。それについての個人的な妄想です。
(1)何故か、創建について正史「日本書紀」には記述されなかった川原寺
 ・川原寺は創建目的や発願者は誰であるのかなど、日本書紀には記述が無く、全く知ることができない。つまり日本書紀では記述が避けられているということである。日本書紀では天武天皇を排除する方向で編纂されてきたので、川原寺が天武天皇に関わりが強くあったため抹殺されたことが考えられる。
(2)何故か、平城京に移設されなかった川原寺
 ・天武天皇に近かったことが、平城京に移設されなかったことにつながったのではないか。(上記の川原寺の位置だが、板葺宮の真横にある。)
(3)創建時の中金堂は、天井・壁面の全面を塑像の三尊塼仏によって飾られた異色の金堂だった?
 ・塑像の三尊塼仏がこの時代だけで、後の時代には消えてしまった。天武天皇の排斥と関係があるとすれば辻褄は合ってくる。
 私は、「謎の大寺 飛鳥川原寺」(網干善教/NHK取材班)をパラパラと見ましたが、他には本とか無さそうです。この中では、後の方でインドに話が飛ぶが、そこまではついて行けてない。