2023年4月26日水曜日

倭国の想像図

 『人類の起源-古代DNAが語るホモ・サピエンスの「大いなる旅」 (中公新書, 2683) 』篠田謙一、中央公論新社 (2022/2/25)の中にある核ゲノムの都道府県別SNP解析(p.198)を見て、以前の図を思い出しました。

ブログは以下の記事。 47都道府県人のゲノムが明かす 日本人の起源 

図は以下。 

ゲノム県別図

参考図 邪馬台国が九州にあり、呉越の人がやってきたとの想像図

魏呉越の図


邪馬台国が九州にあり、呉越の人がやってきたとの想像図です。

ゲノム図が七世紀の時代をあらわしていると考えると、下の想像図が描けます。 渡来人に近い橙色の地域を見ていくと、四国太平洋側、和歌山県、奈良県、滋賀県、京都府、石川県のところになります。青の線で結びました。天武天皇の新勢力と見なします。一方、倭国吉備説で考えているので、赤の楕円が倭国になります。岡山県付近が倭国の中心になります。楕円の大きさは適当で、イメージで、もう少し広いかもしれません。遺伝子的には若干、渡来人さが天武天皇派より2段ほど劣るところです。青の破線は出雲と連携してるかなとのことで書き加えました。天武天皇派が倭国を包囲して、最終的に日本に統一されます。岐阜県や愛知県も倭国であって分断されていたかもしれません。

倭国地図






2023年4月22日土曜日

ウラル・アルタイと相撲?

 近鉄南大阪線当麻寺駅より當麻寺に歩いて行く道中に葛城市相撲館「けはや座」があります。相撲の開祖「當麻蹶速」を顕彰する目的で平成2年の5月にオープンしました、とのことです。

当麻蹴速《たいまのけはや》については、

『日本書紀』によれば、蹴速は大和国の当麻邑(たいまのむら、現奈良県葛城市當麻)に住み、強力を誇って生死を問わない勝負をする者を欲していたため、これを聞いた垂仁天皇が出雲国から勇士であると評判の野見宿禰を召し寄せ、捔力(すまひ)で対戦させたところ、互いに蹴り合った後に、蹴速は宿禰に腰を踏み折られて死んだといい、蹴速の土地は没収されて勝者の野見宿禰の土地となったという[1]。

「蹴速」という名前は、蹴り技の名手であったことを示すために名付けられたと推測されている[2]。また、葛城市當麻には蹴速の塚と伝わる蹴速塚がある。(ウィキペディア「当麻蹴速」より)

相撲の開祖となってますが、「捔力」と表現されていて、相撲とは思えませんので格闘技の開祖的な人だと思います。勝った野見宿禰が出雲の出身だということが問題です。出雲が相撲の本場の地であることをイメージさせています。現在の相撲ではモンゴル出身の力士が活躍していますが、モンゴルには相撲の素地のようなものがあり、力士が飛行機でやってきます。昔であったら、船でやってくることになります。到着地が出雲とかであって、出雲の地が日本での相撲の隆盛地になったのではと想像します。 各地域の相撲の様子です。ウィキペディアです。
モンゴル相撲 

トルコでもヤールギュレシというものがあるそうです。 

これらの地域をみて、相撲がウラル・アルタイ言語の地方にある格闘技かと思いまし。しかし、そうではなく各地域にあるようです。

インドとかはクシュティー 

中国ではシュアイジャオ 

相撲がウラルアルタイの文化にあるとは言えそうにないです。

『日本書紀』の垂仁天皇ですが、もちろん三世紀とか四世紀の話ではありません。七世紀の話を過去に想定して展開したものですが、だれをモデルにしたかは不明です。しかし、先代の崇神天皇の時にも、出雲とつながりのある三輪山の話があります。一連の出雲と関係した話の中で、野見宿禰が出てくるので、話の都合上、出雲出身としただけかもしれません。対戦の日も「垂仁天皇7年7月乙亥」とラッキーセブンになってます。継続した展開の中で相撲の話を入れておこうとしています。

古墳の埴輪での力士像では、裸にふんどし姿に見えますので、北方系ではなく南方系に思えます。捔力の対戦は格闘技であって相撲での対決ではなさそうですので、野見宿禰が南方出身とは考えにくいです。絶対的にそうだとは言えませんが、イメージとしては出雲出身に思えます。

當麻寺金堂の四天王像が頭にあっての偏見かもしれませんが、出雲の地域からの影響があったかもしれないという思いつきの話です。

2023年4月16日日曜日

支石墓、日本人のルーツ

 『縄文のビーナス 遺伝子から辿る日本民族の原像』古村恭三郎、郁朋社 (2018/11/21)を借りてきました。日本への江南からのルートのことがあったのでメモ書きです。

この本では、遺伝子の話があり重要ですが、飛ばします。日本人のルーツとして、先住の縄文人とそこへやってきた渡来人について北方説と南方説があり、その論点が述べられています。その中に支石墓があります。 著者は南方説を取っており、長江流域よりきたとしています。支石墓にはテーブル型と碁盤型があって、朝鮮半島の北はテーブル型で南は碁盤型とのことです。テーブルというのは薄い石板を支石で支える形、碁盤型は碁盤のイメージで大きな塊の上の石を小さな石で支えるような形です。この碁盤型が長江よりやってきたとの考えです。

支石墓について、平成26年度の支石墓の謎というシンポジウムのPDFがありました。写真とかあり、わかりやすいと思います。 

日本の支石墓も朝鮮半島(韓半島となってましたが一般的だろうかなとは疑問に思います。本のタイトルでも朝鮮語ではなく韓国語ばかりで、北朝鮮の方と言葉が違うのかなという気がします。微妙な使い分けがあるようですが、わかりません。)から伝来したようなことのようです。 支石墓の分布図が上記の本にあります。支石墓の謎のPDFにもあったのですが、ネット上でないかと思ったら、支石墓が世界遺産になっているようで、その紹介の「世界遺産 和順支石墓遺跡」のところ、以下に分布図がありました。 海岸と川に沿って分布する支石墓 

世界遺産 和順支石墓遺跡は以下 

朝鮮半島の西南端に突出していて、単純には長江からの伝来を、感じます。 またウィキペディアでは中国には支石墓はないと断言しています。支石墓の謎のPDFでも、

長江流域の石棚が韓半島南部に伝達したという説(陳2003)がある。いわゆる南方ルートを意識したものであるが、実証されていない。

とあります。平成26年なので、2014年の話です。以下の記事もあります。

西南学院大名誉教授・高倉洋彰氏 「支石墓」から見る古代の交流 

の記事で

済州島にも支石墓があるが、ここの支石墓は変わっている。墓は地上に造られていて、板石を楕円形に立て並べた形は卓子形に通じないこともないが、印象はまったく異なる。  中国浙江省温州市は温州ミカンの原産地として知られる。その隣に瑞安というところがある。跳魚(ムツゴロウ)の産地で、有明海と同様の潟スキーもある。「炸煮跳魚」という飴煮状の料理を食べたが、黒い外観と白い肉、そして味はまさにムツゴロウだった。アゲマキや白玉団子もあり、佐賀の雰囲気だ。箕子麺という平たい麺があったが、名古屋のキシメンのルーツは、案外この辺りにあるのかもしれない。

瑞安には、不思議なことに支石墓が集中している。しかも、済州島の支石墓に酷似していた。  瑞安の近くには棋盤山という地名もある。「碁盤」に近いのは偶然だろうか。ともかく、中国・温州から海岸沿いに北上し、寧波から舟山列島を経てさらに北上すれば済州島に行けないこともない。  かつてこうした交流路があったのだろうか-。支石墓分布をみていると、想像が膨らんでくる。

長江・支石墓の検索すると 古代東アジアの墳墓構築における地中水対策と変遷 がありました。 この中の、「はじめに」で

特に土を盛り上げた墳墓は、地中水対策などの観点から地下埋葬 (黄河流域、朝鮮半島北部を含む半島の大部分)と地上埋葬(長江下流域、朝鮮半島南西部、北部九州)に別れることなどである。

とあります。最後の表で、遼東の支石墓半島の支石墓から、碁盤式支石墓(朝鮮半島南部、北部九州)に影響を与えた矢印がしめされています。

表の体裁上、長江流域の江南土墩墓から北部九州の墳丘墓への細い矢印は省いた。

とあります。これが、最終的に長江ルートになっているかもしれません。 ややこしくなってきました。長江ルートはありそうだとのことで打ち切りとします。

2023年4月13日木曜日

朝鮮語と日本語の分岐点

 『ことばは国家を超える ――日本語、ウラル・アルタイ語、ツラン主義 (ちくま新書)新書』田中克彦、筑摩書房 (2021/4/10) の中に、金大中大統領訪日、金大統領の国会演説の一部が載ってました。朝鮮語と日本語は似ている例です。ほかにもあると思いますが、ネットで同文を探し[注1]、グーグル翻訳しました。ハングルがわかりませんので、アルファベットです。以下、文字のズレがありますが、示します。太字で対応がわかると思います。


han-il yang-gug-eun hamkke ulal-altai gyetong-ui
韓日  両国   共に、 ウラル・アルタイ系統 

eon-eoleul sayonghago iss-eumyeo
言語   使用 して お 

bulgyowa yugyomunhwado gong-yuhago issseubnida.
仏教や  儒教 文化  共 有 して い ます


朝鮮語と日本語は、単語・発音・接尾辞などちがいますが、枠組みは同じです。似ていると感じます。どこかの時点で分かれ、別の道を歩んでると考えられます。

共に漢字の文化圏にあるので、単語に漢字からの伝来を感じます。中国の影響がありそうですが、それでも語順の並びが同等であることは大きいです。朝鮮語の発音も中国の発音の有気音・無気音の影響か、日本の有声音・無声音とは違いますが、二次的な問題に思えます。

使用する単語とか、有気音・無気音と有声音・無声音などの違いは時間経過で変化すると思いますが、言語の枠組み的なものは変化が小さいように思われます。金大統領の話の千五百年はどうかはわかりませんが、元々は同じような言語が分離され、発音や単語が別々に変化しても言語のフレームは残ったと考えたいです。著者のタイトルに合わせれば、「国家はことばを変える」ということでしょう。同一のような言語が、朝鮮語と日本語に分かれたのはいつの時代かということになります。

想像の話になりますが、歴史のわかる時代では、白村江の戦いのころではと妄想します。イメージはNATOです。これは軍事的な同盟組織で、第三国(者)による攻撃から互いに防衛するためのものです。当時も百済はゆるやかな倭国連合体の一員であって、唐・新羅からの攻撃に対抗したのですが、倭国側は寄せ集めで大敗しました。倭国は朝鮮半島から除外され、言語的には別れていったように思います。この時には、おそらく統一された日本語のようなものもなかったとは思います。朝鮮語の発展の歴史もしりませんので、妄想段階のお話です。

言語的に証明するものはありませんが、つながりを示す文化的なものはありそうに思われます。以前に 「朝鮮半島の前方後円墳」 

で書いてました。

前方後円墳の時代、朝鮮半島にもあったということは埋葬文化に共通するものがあったということです。朝鮮半島南部と北九州が同一の海洋文化圏として機能していたと想像されます。唐との戦いも。百済という倭国連合への侵略に対する防衛であったと考えられます。

[注1]:以下より取り込みました。 民団新聞 

◆過去を直視し未来志向関係を

尊敬する議員の皆様。

韓国と日本の関係は、実に長くかつ深いと言えましょう。われわれ両国は千五百年以上に及ぶ交流の歴史を持っています。  数多くの人々が韓半島から日本に渡りました。韓日両国は共に、ウラル・アルタイ系統の言語を使用しており、仏教や儒教文化も共有しています。徳川三百年の鎖国の時代にも、日本は韓国と、頻繁に往来しました。  それに比して、歴史的に日本と韓国の関係が不幸だったのは、約四百年前に日本が韓国を侵略した七年間と、今世紀初めの植民地支配三十五年間であります。・・・

2023年4月11日火曜日

アルタイのデニソワ人

 アルタイつながりですが、『人類の起源-古代DNAが語るホモ・サピエンスの「大いなる旅」 (中公新書, 2683)』篠田謙一、中央公論新社 (2022/2/25)を借りてきて読んでます。

41頁にデニソワ人のことが書いてあります。

デニソワ洞窟は、ロシアと中国そしてモンゴルの国境に近いシベリア西部のアルタイ地方にある洞窟です。二〇一〇年に、この洞窟から出土した指の骨(デニソワ三号)と臼歯(デニソワ四号)のDNAが分析され、その結果からネアンデルタール人ともホモ・サピエンスとも異なる未知の人類のものだということが判明しました。デニソワ人と呼ばれるようになったこの未知の人類は、形態的な特徴が不明なまま、DNAの証拠だけで新種とされた最初の人類です。

デニソワ洞窟からはネアンデルタール人だけでなく、ホモ・サピエンスがつくった遺物も見つかっており、少なくとも異なる三種の人類によって利用されたことがわかっています。・・・

遺伝の話が続いたあと、

ネアンデルタール人と私たちが、数十万年間にわたって交雑を繰り返していた可能性があるということです。

ホモ・サピエンスの出アフリカの定説も見直しの可能性があるようです。

45頁には

デニソワ人の正体
デニソワ洞窟からは、二〇一八年にさらに驚くべき発見が報告されています。この洞窟で発見された九万年前のものとされる一センチメートルほどの長幹骨の破片(デニソワ一一号)から抽出されたDNAが分析され、この人物がネアンデルタール人の母親とデニソワ人の父親から生まれた混血であることが判明したのです。骨の厚さから一三歳前後と推定されており、ゲノム分析の結果、女性であることがわかりました。デニソワ洞窟からはネアンデルタール人とデニソン人のゲノムが見つかってますから、両者が交雑したとしても不思議ではないのですが、その直接的な証拠が見つかるのは奇跡的なできごとというべきでしょう。

48頁で、

デニソワ人の分布を証明する直接的な化石証拠は、今のところデニソワ洞窟とチベット高原だけですが、彼らがより広範囲な地域に分布していたことをうかがわせる証拠が、ゲノムの解析結果から得られています。・・・

また、チベット高原の現代人が持つ赤血球を調べることで、その中で働く遺伝子の変異がデニソワ人に由来することも判明しています。この変異は酸素の少ない高地で有利になるもので、ホモ・サピエンスが高地に進出する際に、この変異した遺伝子を交雑によってデニソワ人から受け取ったと考えられます。

ホモ・サピエンスはアフリカ出立して、進化しながら各地域に広まったのではなく、先達の適応した遺伝子を取り込みながら広がったということです。進化は一直線上でなく、からみながらだったということを考えれば、言語の進化も同様に思えてきます。

ウラル・アルタイ言語の元がネアンデルタール人からかと思いそうになりますが、65頁には

ホモ・サピエンスの持つ言語能力に関係するといわれているFOXP2遺伝子を取り囲んでいるゲノム領域では、ネアンデルタール人由来のものがまったく見られないことが判明しており、そこから言語に関する遺伝子領域が、ネアンデルタール人と私たちの違いを生み出している可能性も指摘されています。さらに、遺伝子の発現を制御する調節領域では、ネアンデルタール人由来の遺伝子が排除される傾向が強いことも明らかになっています。

残念ながら『人類の起源』で前半1/4ぐらいのメモ書きです。 もう少し読めればと思います。

2023年4月10日月曜日

ウラル・アルタイ語

 以前に 『ガラスの来た道: 古代ユーラシアをつなぐ輝き (563) (歴史文化ライブラリー 563)』小寺智津子、吉川弘文館 (2022/12/19) で匈奴の話がありました。冒頓単于の時代、強大な版図を持っていて、その時の言語は何だったか疑問でした。 シルクロードがあるので、ウラル・アルタイ語に関係するのかと思ったのでしょう。『ことばは国家を超える ――日本語、ウラル・アルタイ語、ツラン主義 (ちくま新書)新書』田中克彦、筑摩書房 (2021/4/10)を借りてきました。

ウラル・アルタイ語がどうして出てくるのかの疑問にこたえてくれました。ウラルとはウラル山脈でユーラシアとアジアを分ける山脈です。アルタイ山脈は、西シベリア、モンゴル、カザフスタンにまたがる山脈で、その山麓でモンゴル語とトルコ語の諸方言が話されているとのことですが、どうしてこの地域が注目されたかについて書かれていました。 北方戦争でロシアの捕虜となったスウェーデン人のタッベルトがいた。ロシア人の悪口が書いてあって、自分たちは手を汚すことなくシベリア開発をすすめ、

第二次大戦後は60万人もの日本人がシベリアの開発に大きく貢献したのである。

とか書いてます。タッベルトに戻って、シベリアでの言語をまとめ、この人が戻って一族がフォン・ストラーレンベルクの名で爵位を得た。その名を冠して、ストックホルムで著書が出版されたとのこと。

いろんな話が出てきて、「ウラル・アルタイ語」の元は、「トゥラン語族」と言われており、これはフリードリッヒ・マックス・ミューラーによるとして204頁に

形態論的類似 さて、ミュラーの『言語の科学についての講義』では、トゥラン諸語は「アーリア語やセム語」のように、同系の語族(family)というよりは語種(class)もしくは語群(group)と言うべきもので、系譜的類似というよりは形態論的類似を共有すると言っている。この指摘は、言語は類型論的な共通性によってグループをなす私の主張に近い。こうしたトゥラン語群はさらに北方群と南方群に分けられ、北方群は時に「ウラル・アルタイ」もしくは「ウグリア・タタール」とも呼んでいる。南方群に入るのはタミール、ブータン、タイ、マラヨ、ポリネシアであると述べている。

これらトゥラン諸語は、アーリアやセムとは異なり、遊牧民であるから、「かって政治的、社会的文化的核が形成されたことがない」と言っている。

マックス・ミュラーの「トゥラン語群」は、屈折語を原理とする印欧語に対立する、あるときは、そこにはいれなかった、膠着原理にもとづく雑多な諸言語をまとめて呼ぶという便宜的な性格が強い。ミュラーは膠着型の言語が発展して屈折語に移ったとという考えを示している。

蔑称として「トゥラン」で、207頁に

ヨーロッパでは言語の生存競争に勝ち抜き、偉大なヨーロッパ文明の担い手、印欧諸語の共通起源を立証した、印欧語比較言語学が印欧語と印欧文化の優秀性と、それを担ったアーリア民族をたたえるとともに、その影の面として、印欧語のすぐれた特徴を欠いた言語、非アーリア諸族に刺激を与えないではおかなかった。・・・

この後に、ハンガリーに生じたトゥラン主義と続きます。印欧語に対立するものとして生まれたとのようです。ハンガリー語やフィンランド語は非ヨーロッパ言語で起源を探す中でウラル・アルタイ語にたどり着いたようです。

ウラル・アルタイ語の話はここまで。以下、屈折語と膠着語の説明メモです。

ここで屈折語についての解説が前の方にあります。フンボルトによる類型です。99頁。

「屈折」とはラテン語のflexio(曲げる)を漢字で翻訳したことばで、最近は日本語でもとりいれてフレキシブルなどと使う。では何を「曲げる」かと言えば、ある単語の中味である母音を変化させることを言う。日本語の単語には、このような方式はない。日本語では単語はどのような環境の中でも変わらず一定していて、どんな文法要素が後につづこうと、ヤマ、カワ、ウミ、モリのように、一定の変わらぬ形であらわれる。ところが英語ではそうではない。簡単な例を出すと、
   foot - feet
   man - men
がそれで、[fut](足)の語頭と語末の子音をそのままにしておいて、単語の中味そのものである[u]を[i:]に入れ替えると複数になる。ーー日本語では、ヒトビトとかヒチドモとかで後に継ぎ足すなっど例が示されるーー

こうした、単語の中味の母音そのものを変える(曲げる)ことによって名詞を動詞にしたり、形容詞を名詞にしたりすることさえやる。例えば
  food ー feed  食べ物 ー 食べさせる
  hot ー heat  熱い ー 熱さ
のように、はじめのf音、語末の子音はそのままにしておいて、中味の母音を入れ替えれば形容詞が名詞だの動詞になる。

膠着型
このように、複数を表すのに「タチ、ラ、ドモ」のような語尾を「くっつける」方法をフンボルトは「膠着」と呼んだのである。「膠着」という訳語は、agglutinierendのラテン語の語根になっているgul(s)を「膠」と訳したところにはじまる。ヒトビトのように、「くっつけること」を「膠でくっつける」と訳したのであるが、この膠はノリであってもかまわないのだから「ノリづけ」と言ったほうがわかりやすい。

モンゴル出身の相撲力士の日本語が流暢との話題が出てきます。モンゴル語はわかりませんが、言語としての枠組みが両者で似ていて、単語を入れ替えるだけで成立しやすいのではと妄想します。そうであれば、単語が似ているとか似ていないということはそれほど問題ではなくなります。