2023年4月22日土曜日

ウラル・アルタイと相撲?

 近鉄南大阪線当麻寺駅より當麻寺に歩いて行く道中に葛城市相撲館「けはや座」があります。相撲の開祖「當麻蹶速」を顕彰する目的で平成2年の5月にオープンしました、とのことです。

当麻蹴速《たいまのけはや》については、

『日本書紀』によれば、蹴速は大和国の当麻邑(たいまのむら、現奈良県葛城市當麻)に住み、強力を誇って生死を問わない勝負をする者を欲していたため、これを聞いた垂仁天皇が出雲国から勇士であると評判の野見宿禰を召し寄せ、捔力(すまひ)で対戦させたところ、互いに蹴り合った後に、蹴速は宿禰に腰を踏み折られて死んだといい、蹴速の土地は没収されて勝者の野見宿禰の土地となったという[1]。

「蹴速」という名前は、蹴り技の名手であったことを示すために名付けられたと推測されている[2]。また、葛城市當麻には蹴速の塚と伝わる蹴速塚がある。(ウィキペディア「当麻蹴速」より)

相撲の開祖となってますが、「捔力」と表現されていて、相撲とは思えませんので格闘技の開祖的な人だと思います。勝った野見宿禰が出雲の出身だということが問題です。出雲が相撲の本場の地であることをイメージさせています。現在の相撲ではモンゴル出身の力士が活躍していますが、モンゴルには相撲の素地のようなものがあり、力士が飛行機でやってきます。昔であったら、船でやってくることになります。到着地が出雲とかであって、出雲の地が日本での相撲の隆盛地になったのではと想像します。 各地域の相撲の様子です。ウィキペディアです。
モンゴル相撲 

トルコでもヤールギュレシというものがあるそうです。 

これらの地域をみて、相撲がウラル・アルタイ言語の地方にある格闘技かと思いまし。しかし、そうではなく各地域にあるようです。

インドとかはクシュティー 

中国ではシュアイジャオ 

相撲がウラルアルタイの文化にあるとは言えそうにないです。

『日本書紀』の垂仁天皇ですが、もちろん三世紀とか四世紀の話ではありません。七世紀の話を過去に想定して展開したものですが、だれをモデルにしたかは不明です。しかし、先代の崇神天皇の時にも、出雲とつながりのある三輪山の話があります。一連の出雲と関係した話の中で、野見宿禰が出てくるので、話の都合上、出雲出身としただけかもしれません。対戦の日も「垂仁天皇7年7月乙亥」とラッキーセブンになってます。継続した展開の中で相撲の話を入れておこうとしています。

古墳の埴輪での力士像では、裸にふんどし姿に見えますので、北方系ではなく南方系に思えます。捔力の対戦は格闘技であって相撲での対決ではなさそうですので、野見宿禰が南方出身とは考えにくいです。絶対的にそうだとは言えませんが、イメージとしては出雲出身に思えます。

當麻寺金堂の四天王像が頭にあっての偏見かもしれませんが、出雲の地域からの影響があったかもしれないという思いつきの話です。

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