2023年4月16日日曜日

支石墓、日本人のルーツ

 『縄文のビーナス 遺伝子から辿る日本民族の原像』古村恭三郎、郁朋社 (2018/11/21)を借りてきました。日本への江南からのルートのことがあったのでメモ書きです。

この本では、遺伝子の話があり重要ですが、飛ばします。日本人のルーツとして、先住の縄文人とそこへやってきた渡来人について北方説と南方説があり、その論点が述べられています。その中に支石墓があります。 著者は南方説を取っており、長江流域よりきたとしています。支石墓にはテーブル型と碁盤型があって、朝鮮半島の北はテーブル型で南は碁盤型とのことです。テーブルというのは薄い石板を支石で支える形、碁盤型は碁盤のイメージで大きな塊の上の石を小さな石で支えるような形です。この碁盤型が長江よりやってきたとの考えです。

支石墓について、平成26年度の支石墓の謎というシンポジウムのPDFがありました。写真とかあり、わかりやすいと思います。 

日本の支石墓も朝鮮半島(韓半島となってましたが一般的だろうかなとは疑問に思います。本のタイトルでも朝鮮語ではなく韓国語ばかりで、北朝鮮の方と言葉が違うのかなという気がします。微妙な使い分けがあるようですが、わかりません。)から伝来したようなことのようです。 支石墓の分布図が上記の本にあります。支石墓の謎のPDFにもあったのですが、ネット上でないかと思ったら、支石墓が世界遺産になっているようで、その紹介の「世界遺産 和順支石墓遺跡」のところ、以下に分布図がありました。 海岸と川に沿って分布する支石墓 

世界遺産 和順支石墓遺跡は以下 

朝鮮半島の西南端に突出していて、単純には長江からの伝来を、感じます。 またウィキペディアでは中国には支石墓はないと断言しています。支石墓の謎のPDFでも、

長江流域の石棚が韓半島南部に伝達したという説(陳2003)がある。いわゆる南方ルートを意識したものであるが、実証されていない。

とあります。平成26年なので、2014年の話です。以下の記事もあります。

西南学院大名誉教授・高倉洋彰氏 「支石墓」から見る古代の交流 

の記事で

済州島にも支石墓があるが、ここの支石墓は変わっている。墓は地上に造られていて、板石を楕円形に立て並べた形は卓子形に通じないこともないが、印象はまったく異なる。  中国浙江省温州市は温州ミカンの原産地として知られる。その隣に瑞安というところがある。跳魚(ムツゴロウ)の産地で、有明海と同様の潟スキーもある。「炸煮跳魚」という飴煮状の料理を食べたが、黒い外観と白い肉、そして味はまさにムツゴロウだった。アゲマキや白玉団子もあり、佐賀の雰囲気だ。箕子麺という平たい麺があったが、名古屋のキシメンのルーツは、案外この辺りにあるのかもしれない。

瑞安には、不思議なことに支石墓が集中している。しかも、済州島の支石墓に酷似していた。  瑞安の近くには棋盤山という地名もある。「碁盤」に近いのは偶然だろうか。ともかく、中国・温州から海岸沿いに北上し、寧波から舟山列島を経てさらに北上すれば済州島に行けないこともない。  かつてこうした交流路があったのだろうか-。支石墓分布をみていると、想像が膨らんでくる。

長江・支石墓の検索すると 古代東アジアの墳墓構築における地中水対策と変遷 がありました。 この中の、「はじめに」で

特に土を盛り上げた墳墓は、地中水対策などの観点から地下埋葬 (黄河流域、朝鮮半島北部を含む半島の大部分)と地上埋葬(長江下流域、朝鮮半島南西部、北部九州)に別れることなどである。

とあります。最後の表で、遼東の支石墓半島の支石墓から、碁盤式支石墓(朝鮮半島南部、北部九州)に影響を与えた矢印がしめされています。

表の体裁上、長江流域の江南土墩墓から北部九州の墳丘墓への細い矢印は省いた。

とあります。これが、最終的に長江ルートになっているかもしれません。 ややこしくなってきました。長江ルートはありそうだとのことで打ち切りとします。

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