2021年10月29日金曜日

倭国は海洋国?

魏志倭人伝に倭国の様子が書かれています。

『新訂 魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝―中国正史日本伝〈1〉』石原道博編訳、岩波書店; 新訂版 (1985/5/16)

魏志倭人伝をよく見てませんでしたが、書いてあります。手抜きですが、ウィキペディアの引用です。

原文
女王國東渡海千餘里、復有國、皆倭種。又有侏儒國在其南、人長三四尺、去女王四千餘里、又有裸國、黒齒國、復在其東南、船行一年可至。

日本語訳
女王国の東、海を渡ること千余里、復、国があり、みな倭種である、又、侏儒(こびと)国が、その南にある、人のたけ三、四尺、女王を去ること四千余里、又、裸国・黒歯国がある、復その東南にある、船で一年がかりで着くことができる。

女王国は卑弥呼の国ということです。国が出てきていて特定は難しいとは思いますが、船での通行といってます。つぎの部分でもっとはっきりと書いてます。

原文
参問倭地、絶在海中洲㠀之上、或絶或連、周旋可五千餘里。

日本語訳
倭の地についての問いて集めるに、海中洲島の上に遠く離れて存在し、あるいは絶え、あるいは連なり、一周は五千余里ばかりか。

つまり、国々が接近してるか離れているかいろいろだが、船によって移動することを前提としています。イメージとしては瀬戸内海の吉備の国のことを述べているように思われます。これは邪馬台国がヤマトにあるという前提では無理がある話です。

元々は『魏志倭人伝の考古学 (岩波現代文庫)』の後ろの方の訳文を見ていて思いました。 ともに同じようなことが書いてあります。 

2021年10月27日水曜日

いれずみ(黥面)

 NHKの番組で、英雄たちの選択「追跡!古代ミステリー “顔”に隠された古代人のこころ 」という番組がありました(10月20日)。

その中で、設楽博己氏が画面で出演されていました。メモっておきます。 テレビの内容は面白かったので、関連してる本を図書館から借りてきました。 『魏志倭人伝の考古学』(岩波現代文庫)佐原真、岩波書店、2003年8月 この本を、番組を思い出しながら見ています。

縄文時代中頃以降の土偶(粘土で作って、焼き上げた人形)の顔の左右の目の下に、両方で八字形となる線を引いた入れ墨とみられるものがあります。黥面(げいめん)です。

私たちにとって大切なのは、魏志倭人伝の黥面に関連する可能性のある考古資料です。三世紀から四世紀(弥生時代Ⅴ期~古墳時代初期)にかけて、土器・土製品・石棺の蓋などに表した四十数例の顔に入墨らしき表現があり、設楽博己さんの研究があります。

額から頬にかけて、並行する弧線外開きに引き、鼻を対称軸として、左右対称に配します。色をつけた化粧かもしれません。しかし、入れ墨で正解でしょう。福岡県前原市の上鑵子遺跡(じょうかんすいせき)、つまり魏志倭人伝の「伊都国」の領域で、木の板に刻んだ顔の実例(紀元前一世紀)が加わることによって、九州・中国・四国・伊勢湾沿岸・関東まで基本的に同じ紋様の黥面の習俗があったことがわかりました。ただし、畿内には発見例はありません。

この本では、黥面の分布図として、『三国志がみた倭人たち』、設楽編、山川出版社、2001年より引用されています。ネットで似た図は見つかります。確かに畿内には分布がありません。

設楽さんは、その後さらに研究をすすめ、縄文時代の中頃から終わりにかけて連綿と連続する目のまわりを取り囲む入れ墨が変化した形で前三世紀(弥生Ⅰ期)に取り入れられ、これが三世紀の黥面につらなり、そして、五,六世紀の埴輪の入れ墨にまで受けつがれると見るにいたっています。

「もとを正せば入れ墨は入れ墨は採集狩猟民である縄文人の習俗であった。弥生時代に男子は皆その習俗をしていたと魏志倭人伝もいうように、一時的には農耕民にもひろがったものの、支配者層の農耕民はその習俗を捨て去り、やがて本来の入れ墨習俗の持ち主であった非農耕的な仕事にたずさわる人々の習俗に回帰した。そして、列島の南北にいまだ支配に服さずにいる人々の野蛮な習俗として支配層から差別的な扱いを受けるようになり、入れ墨は江戸時代に復活するまで日本の歴史から姿を消した。入れ墨に対する記紀の記述のなかに、支配者層の政治的な戦略としての日本版中華思想の萌芽を読み取ることができる」
これが本書のために設楽さんが寄せてくれた結論です。視野は日本の南北に及んでいるので、ここで北と南を見ておきましょう。ーー以下略ーー

倭国=吉備説に合致しています。倭国にやってきた渡来人で黥面の習俗を受け入れられなかった人たちは大和地方に住んで、コロニーのようなものを形成した。そして、天武天皇の時代は、大和の開発が進み、辺境の地である、鳥が飛び回る鳥葬の墓地の飛鳥が開発されていった。ということだろうと思います。記紀の時代にも黥面の習俗を持つ人が多くいた。白村江の戦いのあと、渡来系の人が中心となり、倭国を再建したということなのかもしれません。古墳時代から律令制の時代の断絶があったということが、黥面から理解できます。

2021年10月24日日曜日

元寇から白村江の戦いのアナロジー?

 元寇の話です。
ウィキペディアを見ていると、北条時宗は強硬策をとってますが、鎌倉時代の禅宗の僧などが南宋に行ってます。南宋の影響下に当時の日本があったことが、鎌倉幕府に強硬策をとらせ、間接的に元寇を招いた感じがあります。

さて、白村江の戦いですが、当時の巨大な唐に対抗しようとどうしてしたのかということで、元寇と同様に中国の影響があったかもしれないと思いました。しかし、単なる思いつきのようで、中国南部の勢力が倭国の外交に影響を与えたことは見つかりません。

白村江の戦いは663年です。隋が滅んだのが618年で、その後も混乱が続き、唐朝の第2代皇帝、太宗 李世民(たいそう り せいみん)によって、626年にクーデターの玄武門の変にて皇太子の李建成を打倒して皇帝に即位し、群雄勢力を平定して天下を統一した。

30年以上経っているこの時代には、ある程度中国情勢がわかってないといけないはずなので、関係あるようには思えません。。

次の唐の第3代皇帝、高宗(こうそう)は、在位期間 貞観23年6月1日 - 弘道元年12月4日 (649年7月15日 - 683年12月27日) とあります。
高宗の後半は、武 則天(ぶ そくてん)、中国史上唯一の女帝が出てきます。唐の高宗の皇后となり、後に唐に代わり武周朝を建てた。諱は照(曌)。(ウィキペディアの抜き書き)

この時代は、日本側に中国状勢の見極めに混乱があっても仕方が無いとは思います。少し前の時代に戻って、

隋の中国の南北統一がなったのが、589年に陳の都の建康の陥落したこととすると、倭国(俀國)の遣隋使(けんずいし)が600年(推古8年)で、

この時は、案外に中国の状況の見極めが速いように思います。 倭国が中国南部と交易関係を持っていて、情報が入ってきていて、様子を見て判断したのだろうと想像されます。

それにしても、白村江の戦いの決断がわかりかねます。唐と倭国の間でなんらかの交渉があるはずですが、謎です。元寇の遠因に中国南部の影響があったのと同じく、白村江の戦いにも何かしら中国南部の影響があったのかと思いつきましたが、なさそうです。天武天皇の時代には南方方面の外交はあったようなので、どういうことだろうと思います。
何を書いてるかわからない内容なので、ボツにしようと思いましたがアップします。

2021年10月15日金曜日

日本の周りの言語

 『ニューエクスプレス・スペシャル 日本語の隣人たち』中川 裕 (監修)、白水社 (2009/7/10)

上記の本を図書館で借りました。言語の常識を壊されます。

以下は、上記の本のメモ書きです。まとまりがありませんが、引用の体裁のないところもほぼ、抜き書きの引用です。 日本語の周りにはいろんな言語がありますが、日本語は許容範囲が広い言語だと思いました。V+O+S の形を同時通訳するときに、日本語だとおかしな感じですが、なんとか訳していけます。しかし、英語では、文章が終わらないと訳せませんので、英語中心の世界では淘汰されていく言語のような気もします。

・「セデック語」
どこかと思いますが、台湾の原住民言語で、

オーストロネシア言語に属します。オーストロネシア語族は、他に、フィリピン諸語(タガログ語など)、インドネシア諸語(インドネシア語、バリ語、アチュ語など)、マダガスカル語、ニュージーランドのマオリ語、太平洋の島々の言語(ハワイ語、フィジー語、トンガ語など)を含みます。台湾原住民諸語は、オーストロネシア語族の中で最も早くに枝分かれした一群の言語で、オーストロネシア語族の古い特徴を残していると言われています。台湾以外の言語では、フィリピン諸語が最も台湾原住民諸語に近いとされています。

1985年下関条約で台湾は清から日本に割譲されました。1945年、日本が太平洋戦争に負け、その後、台湾は中華民国の国民党政府の支配下に置かれました。言論棚圧により、日本語・中国語北京方言を基とした台湾の国語の影響を受けているようです。1990年代から少しずつ母語教育が始まったようです。文字がなかったので、ローマ字が使われます。

母音はaiueの4つ。aは日本語の「ア」で、あとは違うようです。子音では「?」みたいな記号があります。「’」でも表すようで、「’A・・」の例もあるので、「ッア」的な発音だと思われます。驚きは語順で、述語が先、主語が後になるとのことです。しかし、主題を先に置くことができ、主語+「'u」+述語 の形もあるようで、柔軟性があります。人称代名詞では1人称複数で、包括系と排除系の二種類があります。また、人称代名詞の主格接語形というのがあります。1人称、2人称の場合、述語のあとにつきます。これは、アイヌ語のも人称接辞というのがあり、動詞の前に着くので違いますが、関係がありそうにも思えます。声調のことは書いてませんので、多分無いのでしょう。

・「ブヌン語」
 こちらも台湾です。先の「セデック語」とは別のようです。ブヌン語には正書法があり、ラテン文字を使うそうです。発音では短母音はa,i,uの3つです。「セデック語」でも「e」は表記されないとのことで似たようなものかもしれません。語順は「述語が文の先頭」です。人称代名詞は数が多くて書いてありませんが、1人称複数では、包括と排除の二種類があります。

・「ニヴフ語」
 北海道の北の細長い島、樺太、サハリンと呼ばれる地域のサハリン方言です。ツングース系の言語ともアイヌ語ともちがうと書いてます。母音は6つ、長短の区別はなく、子音には有声音と無声音の区別、有気音と無気音の区別があります。語順は、主語のあとに動詞がきます。1人称複数形では対立と包括の区別があります。格語尾があり、場所を示す「~に」「~で」みたいなものですが、「~が」や「~は」は無いとのことです。人称接辞があり、動詞につき、目的語のかわりになります。

・「樺太アイヌ語」
 こちらは、『日本語の隣人たちⅡ』に取り上げられています。ニヴフ人のほうが先住民族です。こちらは、母音は5つ、子音は11個で「ニヴフ語」より少ないです。人称接辞があります。音節末にh音がたち、北海道アイヌ語ではp,t,kとちがうようです。ただし、母音で始まる接辞が後続するとp,t,kがあらわれるとあります。1人称複数形では対立と包括の区別は書いてないのでなさそうですが、自動詞・他動詞での区別があるようです。本では何を書いてるか、ぱっと見では理解できません。

・「イテリメン語」
北海道の東端、北方4島、千島列島をたどっていくとカムチャッカ半島にいたります。この地の先住民族のイテリメン人の言語です。西部語、東部語、北部語とあったようですが、このうち西部語が残り、流暢に話せる人は20人に満たないと推測されるとあります(この本の出た時点でか?)。 発音は母音が6つ、長短の区別なし、子音には声門閉鎖音的なものがあるようです。「p」と「p’」とか。「?」みたいな記号もあります。「恐るべき子音連続」のコラムがあり、6子音が連続するものが紹介されています。1人称代名詞では、話相手を含むか、そうでないかの区別はなさそうです。動詞の活用で、人称・数・時制を含むので、語順については自由度があるようです。主語+目的語など+述語(動詞など)が一般的とあります。

・「エスキモー語」
 東はグリーンランドからカナダ・アメリカ合衆国アラスカ州、そして西はロシアのシベリア極東と4カ国にわたって話されている6つの異なる言語です。シベリア・ユピック言語というアメリカ合衆国アラスカ州セント・ローレンス島と、ロシアのチュトコ半島東端で話されているエスキモー語が取り上げられています。エスキモー語の表記はいろいろあるようです。母音は4つ、子音に無視音とかありますが、有声音の説明や、有気音・無気音の言葉は出てきません。ないような感じがします。動詞には、語尾に主語や目的語などが標示されます。動詞1語で文に相当する内容が表されることがあります。平叙文・疑問文・命令文でも語尾の区別があるようです。固定した語順はないと書いてます。主語の場合には能格、目的語には奪格が現れることがあるそうです。区別が必要な場合にはきちんと対応しているようなことだと思います。

・「ハワイ語」
 ハワイ諸島の先住民のハワイ人の言語です。文字を持ってませんでしたが、英語のアルファベットを利用して文字が考案され、ハワイ新聞とか発刊されたようです。その後、英語を話す人が増え、白人勢力による革命でハワイ王国は転覆、ハワイ共和国から、1900年にアメリカ合衆国に併合されたといういことです。ハワイと日本は、江戸時代からあり、カメハメハ4世から徳川幕府に移民の要請があったと書いてます。
発音ですが、母音は5つ、子音は8つです。声門閉鎖音があります。音節は母音で終わります。日本語の「ん」はありません。 語順は驚きで、動詞が文頭にきます。 目的語がある時の語順ですが、
動詞+主語+目的語+副詞(句)(時間・場所・移動先など)
となります。1人称複数の区別はわかりません。
ハワイ語と同系のポリネシア諸語のタヒチ語・サモア語と単語がとても似ているようです。距離にして数千キロ離れているのでびっくりとのことです。Hōkūleʻa(ホクレア)号の数々の航海の成功で、ハワイとタヒチの間の航海も可能性が示されされたようです。中国と日本の間などは近いものに思えます。

2021年10月11日月曜日

琉球語と朝鮮語

 グロッタル・ストップというのがありますが、語頭にくるのが琉球語の特徴のようです。語学を本で目で見てるので、発音のことはよくわかりません。「っ」を最初に発音するということです。記号では「?」みたいな [ ʔ ] 形で表されます。一回の発音で[ikkai]、一切の発音[issai]、一体の発音[ittai]、一杯の発音[ippai]のようにローマ字では子音の重なるところです。子音では区別していますが、ひらがな表記では「っ」でまとめています。確かに「いっ」と発音したときに、次に何を発音するか決まっているように思えます。[kka]、[ssa]、[tta]、[ppa]などでひとかたまりとしても良さそうになります。琉球では、これを意識しているということです。日本語では意識していません。中国語でも意識していないように思います。しかし、韓国語はこれを意識しているように思えます(他の言語はしりません)。韓国語の子音は平音・激音・濃音の3種類があります。平音は無気音、激音は有気音です。濃音は「っ」のイメージです。ハングルで、k音を見ると、平音の[ㄱ]が無声音で、図形の右の角の場所が、舌の奥の方で破裂させる音を示しています。[ㅋ]では、横棒が追加され、これが息をはくイメージで、有声音の激音を示しています。濃音の[ㄲ]の発音記号では、二つ重なっています。舌の奥と声門の両方を使って発音するということのようです。ローマ字では[kk]です。韓国語のテキストにも[?]のような記号で表されているものもあります。[?]の発音を意識するということで、琉球語でも[?]のものがあり、両者は似ていると感じます。単なるそら似の可能性もありますが、関係あるとして、琉球と朝鮮とで交流があったのかということを見ておきます。

『琉球語辞典』半田 一郎、大学書林 (2000/1/30) の中に、

琉球史略年表があり
605:隋の海師何蛮、”流求”に来る[隋書]
607:煬帝、朱寛を派遣し、”流求”を招撫しようとする[隋書]
616,620,677,679,681:掖久・多禰・阿麻彌人の渡来・帰化・漂着・賜禄の記事[日本書紀]
630:遣唐使(第1回)[839年まで続く]
699:多禰・掖玖・菴美・度感など諸国から大和朝廷に献物[続日本紀]
702:多禰、征討される[続日本紀] ;遣唐使船、南島航路をとる
707:南島人に授位[続日本紀]
712:『古事記』成立 714:菴美・信覚・球美から52人を大和へ引率[続日本紀]
720:『日本書紀』成立 720,727:南島人に授位[続日本紀]
753:第10次遣唐使船の帰国船で唐僧鑑真ら、”阿児奈波”に漂着後、多禰を経て坊津に到る:唐招提寺建立(759)

以下略

朝鮮との関連は出てきませんが、

663:白村江の戦い、百済復興を目指す日本・百済遺民の連合軍と、唐・新羅連合軍との間の戦争

があります。敗戦後、百済からの難民が日本にきています。沖縄の方にも百済難民が向かった可能性があります。大和朝廷は危機感を持っていたはずで、琉球の地域を重要視して、その後の大和朝廷との関係に百済人が関与したことも考えられます。結果として、この時代の朝鮮語から影響を受けたことが考えられます。

2021年10月10日日曜日

琉球の固有名詞の漢字

 『琉球語辞典』半田 一郎、大学書林 (2000/1/30) の中に、固有名詞の共通語・現地音索引があります。 Abc順にあって、最初はAです。最初の数語を抜粋しようとしましたが、困りました。グロッタル・ストップというのがあり、この表記がうまく出ないので*で示します。グロッタル・ストップとは、日本語ではケンイチという発音がケニチとならないように、ケンとイチの間に息を止めるような無声音が入ります。このグロッタル・ストップが語頭にくることがあるのが琉球語です。声門閉鎖音というそうです。

共通語漢字表記現地音
A
Abu安部*Abu
Acuta熱田*Aqta
Ada安田*Ada
Adanija安谷屋*Adanna
Aden阿伝*Adin
Afuso安富祖*Afusu
・・・

(注)促音(ッ)はqで表すようです。qは、音声的には直後の子音と同義です。とあります。

「A]の漢字に「安」が目立ちます。ひらがなの「あ」を意識しているようです。「A」の中で、単語は45語有り、「安」のつくものが18語もあります。「阿」のつくものは7語です。

ひょっとしてと思い、「い」に相当する「I」を見ました。こちらは「伊」が多いです。つまりカタカナの「イ」の元の字が多いことになります。それならばと「う」に相当する「u」をみると「宇 」が目立ちます。ひらがな・カタカナの元です。「u」の項には「お」の発音が元にあったと思われるものもあります。琉球語の母音は「あいうえお」ではなく「あいういう」の3母音ですので、これで終了しますが、かな起源の漢字の使い方は偶然ではないと思います。沖縄では、本土日本語を「ヤマトゥグチ」と言うそうですが(グチは口のこと)、ヤマトということから、奈良時代以前に影響を受けたことが考えられます(勝手に断定しています)。安田を「あだ」と読むのは七世紀以前の読みが残っていたと思います。

2021年10月9日土曜日

沖縄語の人称代名詞

 沖縄呉と言ってもいろいろあり、複雑なようです。

『沖縄語の入門』西岡 敏 仲原 穣 伊狩 典子 中島 由美、白水社 (2000/4/30)

を借りてきました。40ページに人称代名詞のことがあります。
1人称単数:ワン waN(私)
1人称複数:ワッター wattaa(私たち)
「ター」のところが「たち」のようです。相手を含むか含まないかの区別はないようです。

有気音・無気音の話が出てきていないので、おそらく有声音・無声音のグループの言語だと思います。日本語が、中国から沖縄経由でやってきたとして問題にならないようです。 沖縄というと、沖の縄という感じで、日本から中国への通路というか、沖縄の島々がロープのように見えます。本土から見た言葉のようなイメージです。

「日本語・アイヌ語・中国語」の続きです。

2021年10月8日金曜日

日本語・アイヌ語・中国語

 現時点の仮説のまとめです。

日本書紀では、百済から千字文とか伝わったとされます。

王仁(わに、生没年不詳)は、応神天皇の時代に辰孫王と共に百済から日本に渡来し、千字文と論語を伝えたと記紀等に記述される伝承上の人物である[1](記紀には「辰孫王」の記述は無い)。『日本書紀』では王仁、『古事記』では和邇吉師(わにきし)と表記されている。(ウィキペディア、「王仁」のところより)

唐へ日本をアピールするために、『日本書紀』は作文されたもので、朝鮮半島経由で中国とつながりがあり、それが継続して、唐とつながりがあることになると強調する意図があったと思います。千字文・文字の伝来の『日本書紀』の話は単なる作文として無視します。実際は千字文などは中国南部から直接伝来したと考えます。

イメージ図は以下のものです。




問題点は大ありで、 朝鮮半島と沖縄のこととかまったく考えていません。 根拠は、
日本語については有声音・無声音の区別が日本に伝わった経路から、
アイヌ語は、1人称複数が二種類あること
です。

白地図は、「CraftMAP」 (http://www.craftmap.box-i.net/) を使わせていただきました。

2021年10月7日木曜日

韓国語

 『ニューエクスプレス 韓国語』野間秀樹、金珍娥、白水社 (2007/11/30)

を見ています。ハングル文字はパット見ではわかりません。韓国語は世界の言語の中で最も日本語に近い言葉であると書いてあります。私には偏見があると思いますが、そんな感じはしません。「てにをは」の威力というのもニュアンスが違っているようです。完全に別の言語と思った方がよいだろうと思います。

音節は[子音]+[母音]+[子音]とあります。平音というのが、無気音のようですが、語頭では無声音、語中では有声音になりますが、韓国語話者では意識されないため、同じ字母になるとあります。有気音・無気音の世界の言語ということだと思います。

人称の変化はどうだろうと探しましたが、この本には出てきません。どうも考えていないようです。よく考えれば、日本語でも今は人称代名詞を意識しますが、英語とかで出てきてからのものかもしれないという気もしてきました。1人称複数で、聞き手を含むか含まないかの区別はあるのかないのかわかりませんが、言ってないところを見るとないのだろうと思います。

広東語と台湾語

 (1)広東語 広東語は中国語の方言で、中国南部の広東省、香港、マカオで話されている言葉のようです。福建語のテキストが見当たらないので似たようなものかと思いましたが違うようです。

『ニューエクスプレスプラス 広東語《CD付》』飯田真紀、白水社 (2010/9/30)
を借りてきて見ています。 広東語は話し言葉専用とのこと。声調が6声あります。また有気音と無気音の区別が重要で、有声音と無声音の使い分けとかなさそうです。子音ではR音はないように思います。漢数字では二は「イー」で違いますが、五は「んーng」で上海語とは似ています。人称代名詞で私たちは一つで、相手を含む・含まないの区別は書いてません。上海語よりは日本語に似ていない感じです。
文例では、
「私は日本人です。」
→「我係日本人。」
「オーハイ ヤップンヤン」 "オー" はやや"ンゴォ"って感じのようです。

この「係」は「~である」ということですが、「は」に近いように思えます。
「A+"係"+B」 は 「AはBである」 ということですが、"係hai"が日本の「~は」に思えます。「AはB」と言ってるように感じます。

(2)台湾語 『ニューエクスプレス 台湾語』村上嘉英、白水社 (2009/2/7)を見ています。

台湾語は、十七世紀以来、中国の福建省南部より台湾に移住してきた人々の子孫によって使われている言葉です。元は中国8大方言のうちの福建省南部の方言です。このことばが台湾で広く通用して、台湾では一般に台湾語と呼ぶようになりました。

台湾の言語事情は事情は、長い間にわたって培われた台湾語、客家(はっか)語、原住民言語の3言語の上に、第2次大戦後、中国各地から移住してきた外省人が、中国語と中国各地の方言をもたらしたので、きわめて複雑です。

声調は7つです。中国の中でもいろいろ違いがあるなと思います。子音ではr音がないようです。
「ここがポイント!」では、 無気音、有気音、有声音の区別は明確に! とあります。福建省の影響があるようです。人称代名詞の1人称複数で、聞き手を含む場合とそうでない場合を使い分けがあります。外省人の影響があって、「咱们」こ似た「咱」で聞き手を含めた言葉が必要とされたのかもしれません。
この本でのカタカナルビは、1901年に旧台湾総督府が制定したものを簡素化して使っているとあります。日本語の言葉も多くあるようです。当時、日本語の有声音・無声音の使い分けも抵抗なく受け入れられたような気がします。

2021年10月6日水曜日

上海語で日本語に似ているところ

 以前の記事で上海語の話者が、有声音・無声音を区別するとありました。
「有声音・無声音と有気音・無気音についての日本語」、
これの元は『音声を教える(国際交流基金日本語教授法シリーズ2)』国際交流基金, 磯村 一弘、ひつじ書房 (2009/2/18) です。

ネットで探すと、詳しくは

音声面では、子音に清濁(有声子音と無声子音)の区別があり、古音の入声も残っている。特に前者の特徴は他の中国語方言には一般に見られないものであり、この地方の日本語学習者にとっては学習に有利に働くことが指摘されている(山本,2004)。
中国・上海の学習者による日本語の有声子音・無声子音の知覚と学習

がありました。

上海語について調べてみました。上海語は中国七大方言の一つです。呉と言われる地域で地図を見ると日本と近いです。

地図

『ニューエクスプレス 上海語』榎本 英雄、范 暁 、白水社 (2010/4/5) を図書館から借りてきました。

文法は標準語と基本的に違いはないとのことですが、発音は全然ちがうようです。声調が4つではなく5つとかで、中国語にもいろいろあるなと思います。子音ではrの音ががなさそうです。漢数字では、「二」が「ニー」です。標準語では「アール」で違います。「五」が[ng]で、「ング」のようで日本語のゴーに近いです。標準語では「ウー」なので、数字の読みは、上海語の方がより近いと思います。 人称代詞で、第一人称複数は一つしかなく、相手を含むか含まないかの区別はありません。この点は日本語に似ています。

人を[ゼン][ニン]と発音するのは日本と近いなと思わせます。しかし、あとは、パット見では見つかりません。発音が近いと言っても文法的には日本語と上海語は完全に別物です。

とは言うものの、音声的には、上海語では有声・無声の区別の言語であったのが日本へ伝達し、その後、上海では、北方の有気音・無気音の影響を受けたこともあり得ます。日本語は、北方の中国語の影響が離れていて小さく、上海語の原始的な古い形を残しているということになるかもしれません。

地図を見ていて、呉の南が閩(ビン)というところです。現在その中で福建省がここにあり、泉州市があります。この地と、いわゆる「和国の泉」である和泉(いずみ)とで、地名つながりがあり、日本と近い位置にあることから、改めて、古い時代に交易があったと妄想します。

2021年10月2日土曜日

日本語のモーラ(拍)

 日本語を考えるのに、第三者的に見ることが大事と思います。それで

『音声を教える(国際交流基金日本語教授法シリーズ2)』国際交流基金, 磯村 一弘、ひつじ書房 (2009/2/18) を見ています。日本語を母語とする人は意識していないと思います。目からうろこでした。

拍(モーラ)というのは、日本語の音の長さを表すときに使う単位です。同じ意味で、モーラ(mora)と言う言葉を使うこともあります。 (1)定義:拍=日本語で、長さがだいたい同じ単位    説明は省略
(2)仮名1文字=1拍
   説明は省略
(3)拗音=2文字で1拍
 「〇ゃ」「〇ゅ」「〇ょ」のように書かれる拗音は、その2文字で1拍になります。たとえば、「しゅくだい」は「しゅ/く/だ/い」で4拍ですし、・・・
(4)「ー」(のばす音)、「ッ」「ン」もそれで1拍

たくさん例がありますが、一つだけ、
 「サッカー」 → サ/ッ/カ/ー(4拍)

母音の長短や「ッ」「ン」、拗音の発音がうまくできないのは、拍の長さに問題があるからです。

拍を意識する練習例がいくつかありますが、グリコ (遊び)のようなものがあります。歩数と拍を対応させるものです。この練習では、拍を区切って発音するので、不自然になりがちです。そのため「2拍フット」のリズムを使った練習法が紹介されています。

「フット」とは、英語の「foot」からきていることばです。日本語で「脚」と訳されることもありますが、一般的にはそのまま「フット」と呼ばれることが普通です。「フット」とは、簡単に言うと、「その言語のリズムのもとになる単位」と定義できます。これは、日本語だけではなく、いろいろな言語について、考えることができます。

たとえば、英語の場合は、強い音から弱い音までがフットになっていて、これがだいたい同じぐらいの感覚で現れて、リズムのもとになっています。中国語やフランス語の場合、1つ1つの音節がだいたい同じぐらいの感覚で発音され、これがそれぞれのことばのリズムになっています。

それでは、日本語の場合は、何がリズムのもとになっているのでしょうか。日本語では、2つの拍がいっしょになった、2拍のまとまりが「フット」になり、リズムを作っていると考えられています。この、日本語のリズのもとになる2拍のまとまりを、「2拍フット」(bimoraric foot)と呼びます。

例は省略しますが、2拍を「タン」、1拍を「タ」で表すと、俳句の「5/7/5」は
「タンタンタ、タンタンタンタ、タンタンタ」となるようです(この部分、本当はリズム譜的に示されています)。

日本語の省略語が2拍ずつのまとまりで作られる例で、「パソ・コン」があげられています。これも昔に「パーコン」と呼ばれていたのが消えてしまったのも2拍のまとまりでは劣っていたからという気がします。「いち・に・さん・し」も「いち・にー・さん・しー」のように2拍にまとまる例もありました。

話が戻って、「2拍フット」リズムの練習ですが、手拍子を使っての練習が紹介されています。

これらの練習方法は、日本語の本質をついていて有効だと思います。練習で俳句や川柳を作るとありましたが、外国ではこのような文芸的なものがあるのだろうかという気がして、ネットで見ると、英語の俳句というのがありましたが、日本人の偏見か、全然五七五を感じません。五七調は日本語の特徴的なものに思えます。この俳句のおおもとは万葉集の和歌になるはずですが、。この時にはすでに「2拍フット」があったということです。

現代は、外国からきた人に日本語を教えるということで、教育の一環として俳句とかの練習をしていますが、七世紀の時代には版図拡大中で、ヤマト言葉を理解してもらわないといけないので、語学教育では和歌を用い、習作みたいなものを集めたのが万葉集で、日本語教師の大元締めが大伴家持だったということです。

妄想が続きますが、集団で、和歌も手拍子で唄ってたかもしれません。当時では、和歌が重要視されていたからこそ、万葉集にまとめられたというこということです。日本書紀の中にも歌謡的なものがあり、省くことができなくて入っていると思いますが、何か画期的なものとして意識している必然性のようなものがあるかもしれません。

アイヌ語に、五七調があるのかが気になります。今まで気にしてなかったのですが、アイヌ語になければ、日本語とアイヌ語の分別がはっきりするかもしれません。