現時点の仮説のまとめです。
日本書紀では、百済から千字文とか伝わったとされます。
王仁(わに、生没年不詳)は、応神天皇の時代に辰孫王と共に百済から日本に渡来し、千字文と論語を伝えたと記紀等に記述される伝承上の人物である[1](記紀には「辰孫王」の記述は無い)。『日本書紀』では王仁、『古事記』では和邇吉師(わにきし)と表記されている。(ウィキペディア、「王仁」のところより)
唐へ日本をアピールするために、『日本書紀』は作文されたもので、朝鮮半島経由で中国とつながりがあり、それが継続して、唐とつながりがあることになると強調する意図があったと思います。千字文・文字の伝来の『日本書紀』の話は単なる作文として無視します。実際は千字文などは中国南部から直接伝来したと考えます。
イメージ図は以下のものです。
問題点は大ありで、 朝鮮半島と沖縄のこととかまったく考えていません。 根拠は、
日本語については有声音・無声音の区別が日本に伝わった経路から、
アイヌ語は、1人称複数が二種類あること
です。
白地図は、「CraftMAP」 (http://www.craftmap.box-i.net/) を使わせていただきました。
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