グロッタル・ストップというのがありますが、語頭にくるのが琉球語の特徴のようです。語学を本で目で見てるので、発音のことはよくわかりません。「っ」を最初に発音するということです。記号では「?」みたいな [ ʔ ] 形で表されます。一回の発音で[ikkai]、一切の発音[issai]、一体の発音[ittai]、一杯の発音[ippai]のようにローマ字では子音の重なるところです。子音では区別していますが、ひらがな表記では「っ」でまとめています。確かに「いっ」と発音したときに、次に何を発音するか決まっているように思えます。[kka]、[ssa]、[tta]、[ppa]などでひとかたまりとしても良さそうになります。琉球では、これを意識しているということです。日本語では意識していません。中国語でも意識していないように思います。しかし、韓国語はこれを意識しているように思えます(他の言語はしりません)。韓国語の子音は平音・激音・濃音の3種類があります。平音は無気音、激音は有気音です。濃音は「っ」のイメージです。ハングルで、k音を見ると、平音の[ㄱ]が無声音で、図形の右の角の場所が、舌の奥の方で破裂させる音を示しています。[ㅋ]では、横棒が追加され、これが息をはくイメージで、有声音の激音を示しています。濃音の[ㄲ]の発音記号では、二つ重なっています。舌の奥と声門の両方を使って発音するということのようです。ローマ字では[kk]です。韓国語のテキストにも[?]のような記号で表されているものもあります。[?]の発音を意識するということで、琉球語でも[?]のものがあり、両者は似ていると感じます。単なるそら似の可能性もありますが、関係あるとして、琉球と朝鮮とで交流があったのかということを見ておきます。
『琉球語辞典』半田 一郎、大学書林 (2000/1/30) の中に、
琉球史略年表があり
605:隋の海師何蛮、”流求”に来る[隋書]
607:煬帝、朱寛を派遣し、”流求”を招撫しようとする[隋書]
616,620,677,679,681:掖久・多禰・阿麻彌人の渡来・帰化・漂着・賜禄の記事[日本書紀]
630:遣唐使(第1回)[839年まで続く]
699:多禰・掖玖・菴美・度感など諸国から大和朝廷に献物[続日本紀]
702:多禰、征討される[続日本紀] ;遣唐使船、南島航路をとる
707:南島人に授位[続日本紀]
712:『古事記』成立 714:菴美・信覚・球美から52人を大和へ引率[続日本紀]
720:『日本書紀』成立 720,727:南島人に授位[続日本紀]
753:第10次遣唐使船の帰国船で唐僧鑑真ら、”阿児奈波”に漂着後、多禰を経て坊津に到る:唐招提寺建立(759)
以下略
朝鮮との関連は出てきませんが、
663:白村江の戦い、百済復興を目指す日本・百済遺民の連合軍と、唐・新羅連合軍との間の戦争
があります。敗戦後、百済からの難民が日本にきています。沖縄の方にも百済難民が向かった可能性があります。大和朝廷は危機感を持っていたはずで、琉球の地域を重要視して、その後の大和朝廷との関係に百済人が関与したことも考えられます。結果として、この時代の朝鮮語から影響を受けたことが考えられます。
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