『蝦夷の古代史(読みなおす日本史) 』工藤 雅樹 、吉川弘文館 (2019/6/1) の32頁に景行天皇の皇子ヤマトタケルの東国遠征の話があります。草薙剣は草那芸剣です。
ヤマトタケルは始めに伊勢神宮(三重県)に行き、姨《おば》の倭比売命《やまとひめのみこと》から草那芸剣《くさなぎのつるぎ》などを与えられて東国に向かった。草那芸剣とは神話でスサノオノミコトがヤマトノオロチを退治したときに、オロチの尾から出てきたもので、スサノオがそれをアマテラスに献上し、それがいわゆる三種の神器の一つとして皇室に伝来したという由来が語られる。朝廷にとっては由緒のある剣である。
その後、ヤマトタケルは尾張国造の祖、美夜受比売《みやずひめ》の家に到り、帰りにまた立ち寄って結婚することを約して東国に向かい、相武(相模)国に到った。・・・
スサノオを天武天皇、アマテラスを持統天皇とすると草那芸剣の移動が実体にあってきます。
天武天皇の時代に、出雲で草那芸剣を得て、これが持統天皇に伝わり、この持統天皇の時代に混乱があり、伊勢神宮に移されたということで、刀とともに政権の移譲を示しているのだと思いました。ヤマトタケルが草那芸剣を美夜受比売のもとに戻すのも節刀のイメージです。神話もかなり八世紀前半の時代の歴史認識を表しているように思います。
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