2022年2月6日日曜日

大伴旅人と神武東征の話

 大伴旅人について調べてみました。 鹿児島の古代から神武東征の話の続きです。 

大伴氏について ウィキペディアでは

「大伴」は「大きな伴造」という意味で、名称は朝廷に直属する多数の伴部を率いていたことに因む[2]。また、祖先伝承によると来目部や靫負部等の軍事的部民を率いていたことが想定されることから、物部氏と共に朝廷の軍事を管掌していたと考えられている[3]。なお、両氏族には親衛隊的な大伴氏と、国軍的な物部氏という違いがあり、大伴氏は宮廷を警護する皇宮警察や近衛兵のような役割を負っていた。

一方で、遠祖・道臣命が神武東征での功労により大和国高市郡築坂邑に宅地を与えられたとの『日本書紀』の記述や・・・

大伴氏の先祖が、『日本書紀』の神武東征に関与していたようです。

さて、大伴旅人の経歴ですが、『大伴旅人(309) (人物叢書 新装版)』鉄野 昌弘 、吉川弘文館 (2021/3/10)では、霊亀元年(七一五)五月に中務卿となる。とあります。その中で

中務省は、天皇に近侍して詔勅の起草や伝達、国史の監修などを司り、八省の中でも重要視されていて、中務卿は他省の長官より一階高い正四位上相当官とされていた。従四位上では抜擢といって良いだろう。

大伴旅人が中務卿の時代に、神武東征について書紀編纂の時期と合っていて、関与した可能性があります。 『続日本紀』では、

和銅3年(710年)正月の元明天皇の朝賀に際して、左将軍として副将軍・穂積老と共に騎兵・隼人・蝦夷らを率いて朱雀大路を行進した。(ウィキペディア「大伴旅人」の項)

神武東征のストーリーの旅程のアイデアを出したことが考えられます。

この『大伴旅人(309) 』の四五頁に

旅人の武人としての面を表すものに、正倉院宝物の「東大寺献物帳」(『国家珍宝帳』、天平勝宝八歳<七五六>六月二十一日付)の一節がある。「槻御弓六張」の中に・・・大伴淡等

また「檀御弓八張」の中にも・・・大伴淡等

とある。旅人所有の槻弓(つきゆみ)・檀弓(まゆみ)が、いかなる路をたどってか、光明皇太后によって東大寺に献納されたのである。

ここで、大伴淡等は大伴旅人のことです。これらの弓の中に、他の武人たちの名もあります。旅人については、万葉集の関係で名前が出てきますが、文武に優れた人のよう人のようです。

旅人ですが、多比等との字もあるようです。不比等とペアに思えます。当時のツートップだった気もしてきます。単なる武人というだけでなく、書紀の編纂に関与した優秀な人の可能性大です。

0 件のコメント:

コメントを投稿