『続日本紀』(しょくにほんぎ)は、平安時代初期に編纂された勅撰史書。『日本書紀』に続く六国史の第二にあたる。文武天皇元年(697年)から桓武天皇の延暦10年(791年)まで95年間の歴史を扱っています(ウィキペディアなど)。位階の記事が多く、誰がどうなったかとか注目する人にとっては有益ですが、そうでなければつまらないです。一部の人物の死亡記事に簡単な略伝がついているものがあります。どのような人だったか傾向がわかります。
『続日本紀(上) 全現代語訳 (講談社学術文庫)』、宇治谷 孟、講談社 (1992/6/10)を見ていて、注目は天皇との関係を記した薨去の記事です。孝徳天皇、天智天皇、天武天皇の名などが出てきます。しかし、斉明天皇の関係者は出てきていないようです。さっと見ただけで自信はないですが、ほぼないと言えると思います。厳密に見てなくて、斉明天皇の墓の記事を見落とすところでしたが、文武天皇3年10月条に、
天下の有罪の人々を赦免する。ただし十悪と強盗・窃盗の者は赦免に入れない。越智山陵《おちのみささぎ》(斉明天皇陵、大和国高市郡)と山科《やましな》山稜(天智天皇陵、山城国宇治郡)とを造営しようとするからである。(25頁)
天平14年5月
越智山陵《おちのみささぎ》(斉明天皇陵、大和国高市郡)が長さ十一丈・広さ五丈二尺にわたって崩壊した。・・・修理させた。・・・(420頁)
墓が実在しても、斉明天皇の存在感は『続日本紀』にはありません。中大兄皇子の称制は、書紀の作り事だと考えているので、当たり前のことですが、『続日本紀』もそう言ってるように思えます。
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