『蝦夷の古代史(読みなおす日本史) 』工藤 雅樹 、吉川弘文館 (2019/6/1) の31頁に 古墳文化が東北に及んだが、抵抗もあったという文脈で書かれています。
朝廷の軍勢は出陣した雰囲気は、ヤマトタケル(『日本書紀』では日本武尊、『古事記』では倭建命と記す)の物語からも想像できる。ヤマトタケルの物語ではヤマトタケルは先に九州の熊襲《くまそ》を討ち、その後で東国遠征を行ったことになっている。そして、東国遠征の物語も『日本書紀』と『古事記』で内容に差があり、『古事記』では遠征の対象は東方十二道(東国のこと)の「荒ぶる神」「まつろはぬ人ども」、すなわち東日本方面の朝廷にしたがわない人たちになっているのに対し、『日本書紀』では、東夷、とりわけ蝦夷を遠征の主たる対象とする物語になっている。
『古事記』と『日本書紀』の違いは何かというと、作成されたのが712年と720年で時代差があります。この8年で東国から東北に勢力範囲が拡大したことでの違いが、それぞれに反映されているのではと想像されます。『日本書紀』は中国の唐に日本をアピールするためのものです。版図が大きいことを示す必要があったのでしょう。そうして考えると、神武東征で九州を出発点にしたのも、目一杯に西方の版図を示そうとしていたことになります。
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