続日本紀の中に「乙巳の変」の痕跡が感じません。
『続日本紀(上) 全現代語訳 (講談社学術文庫)』、宇治谷 孟、講談社 (1992/6/10)を見ています。
続日本紀の天皇即位の詔でも、天智天皇のことは出てきますが、「乙巳の変」とか述べていないようです。一番単純な考えは乙巳の変がなかったとすることです。文武天皇、元明天皇、元正天皇の時代は、『日本書紀』の編纂過程で、まだ反映されていなかったと思えます。大伴旅人が九州遠征に出かけ、これを神武東征に結びつけたのと同様に、藤原不比等も祖先を大化の改新に結びつけた、これが715-720年ころの状況を示しているということです。もちろん、天智天皇も乙巳の変がなく、白村江の敗戦の時代からはじまれば、単なる戦争犯罪人になってしまいます。天智天皇が親である持統天皇のにとってもよくないでしょう。『日本書紀』に乙巳の変を入れることは大きな意味があります。養老四年(720)の不比等の薨去記事には
大臣は近江朝廷《おうみのみかど》の内大臣・大織冠(天智三年に定めた二十六階の最高位)であった鎌足の第二子である。
さらっと記述されていて、『続日本紀』の編纂者にも乙巳の変は頭にないように思われます。
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