詔の中で、どのような天皇が引用されるのかメモです。 文武天皇元年(697) 持統天皇から受け継いだとあります。 元明天皇(707) 持統天皇から文武天皇に、譲位されたことが述べられ、天智天皇の不改常典の話が出て、文武から 譲られて元明天皇になったということです。 元正天皇(715) 先帝の命により受け継ぐとあります。 他の天皇は出てこないです。 聖武天皇(724) 高天の原から始まり、『日本書紀』をふまえたものになっています。ということで、この時点で、持統天皇(アマテラス)が優位、天武天皇(スサノオ)の下位が確定しています。また天智天皇が出てきます。持統天皇の前は天武天皇であったという反論に対し、その前の天智天皇を強調することで、持統天皇と関係の無い天武天皇の皇孫を除外しています。
全体を通して、天皇の詔に天武天皇が出てこず、外しています。理由は不明ですが、聖武天皇の時代に持統系以外の天武系の排除(長屋王か?)が示されているように思われます。 こうして見ると、元正天皇の時が一番微妙です。持統天皇のことも述べていません。反持統天皇派を刺激しないようにしているように見えます。元正天皇の時の年号の養老も美濃国の行幸からできています。壬申の乱の天武天皇が滞在した場所です。何かしらの意味があるように思えます。 その後、長屋王の変、舎人親王に敬意を表するに及ばない(729)などあり、天平に年号が変わり、持統朝が確定するようです。『日本書紀』(720)は聖武天皇即位のためのものであった気もしてきます。
『続日本紀(上) 全現代語訳 (講談社学術文庫)』、宇治谷 孟、講談社 (1992/6/10)を見ています。
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