2022年2月3日木曜日

鹿児島の古代から神武東征の話

 『鹿児島のトリセツ』昭文社 (2021/6/18) からの古代年表のメモです。

西暦元号できごと
3万1000年前立切遺跡(熊毛郡中種子町)などに生活の痕跡
2万9000年前姶良カルデラが噴火し、シラス台地ができる
1万3000年前掃除山遺跡(鹿児島市下福元町)や栫ノ原遺跡(南さつま市)などが形成される。
9500年前上野原遺跡(霧島市)などで定住の痕跡
7300年前鬼界カルデラの噴火
前600稲作が始まる
前300高橋貝塚(南さつま市)などで貝輪を加工
2から3世紀松木園遺跡(南さつま市)などで環濠集落がつくられる
5から6世紀板石積石棺墓群がつくられるようになる
682天武11年大隅と阿多の隼人が朝貢を始める
702大宝2年薩摩と多褹の反乱。この頃に日向国から唱更国(のち薩麻国、薩摩国と改称)が分立
713和銅6大隅国が設置される
720養老4隼人、大隅国守を殺害する。大伴旅人を征隼人特節大将軍とする征討軍を派遣(隼人の反乱)
723養老7624人の隼人、朝貢する
730天平2年大隅・薩摩両国での班田制導入を断念
800延暦19大隅・薩摩両国で百姓の墾田を収公し、区分田として班給する
1024万寿元年万寿年間に太宰大艦・平季基、島津荘を開梱し、関白・藤原頼通に寄進
1185文治元年島津忠久、島津荘下司職に補任

続日本紀には、征隼人副将軍の帰還が養老5年7月7日にあります。前年の2月ぐらいからなので、時間がかかっています。養老4年9月には、陸奥国から蝦夷の反乱の報告もあり、混乱の時期にも思えます。 『日本書紀』成立が720年とすれば、反乱鎮圧の影響を受けていることが考えられ、書紀編纂者の意識が九州に向けられたとすれば、日向国が神武東征の出発点になったと考えられます。東征コースを逆にすれば、大伴旅人がヤマトから鎮圧に向かったコースに想定されます。神武天皇が筑紫国に寄り道するとかおかしいなと感じるのも、当時のコースと考えればそうかもしれないという気になります。以前は神武天皇=天武天皇と考えていて、天武天皇が東征のコースを通ったのかと疑問に思っていましたが、今は単なる書記編纂者の空想物語であったであろうということになりました。


図は神武天皇の御東征 : 肇国物語の22頁


表の730年の班田制導入の断念とか、反乱鎮圧の過程で妥協があったように思われます。聖武天皇の即位によってこれが確認された印象です。

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