2022年2月15日火曜日

大伴旅人の帰京と軍防令

 養老四年(720)、隼人の乱に対して、大伴旅人らを派遣、藤原不比等の薨去で旅人も呼び戻すなど対応が速い印象を持ちます。

和銅五年(712)正月二十三日、河内国高安の烽≪とぶひ≫(のろし台)を廃止し、初めて高見烽と大倭国春日烽を設け、平城≪なら≫に連絡を通じさせた。『続日本紀(上)全現代語訳 (講談社学術文庫) 』、宇治谷 孟 、講談社 (1992/6/10)

のろしによって九州まで知らされたとおもいます。実態がよくわかりませんでしたが、軍防令について、以下にありました。のろしの規定がきちんと決まっています。これで詳細が想像されます。ネットの有り難さです。

第十七 軍防令 全76条中52〜76条 

66 置烽条
67 烽昼夜条
68 有賊入境条
69 烽長条
70 配烽子条
71 置烽処条
72 火炬条
73 (放烟貯備条)
74 応火筒条
75 白日放烟条
76 放烽条

以下は抜き書きのメモです。

○66 置烽条
間隔は距離40里(約21km)を原則、見やすいように。・・・

○67 烽昼夜条
昼夜で、昼は烟〔えん〕(煙)を放ち、夜は火を放つ。応答がない場合は脚力で連絡

○68 有賊入境条
賊があって境に侵入したときに烽を放つ場合、賊衆の多少、烽の数の節級(1〜4炬)はいずれも別式に依ること。

○69 烽長条
烽には長を2人置くこと。・・・

○70 配烽子条
烽には、それぞれ烽子を4人配置すること。もし丁がないところでは、いずれも次丁を取ること。近いところから順に遠いところへと(烽子候補を)及ばせること。均分して(2人1組で)当番に配置すること。順番に勤務・非番すること。

○71 置烽処条
烽を置くところの火炬〔かこ〕(発火材)は、それぞれの距離25歩(約44.5m)。もし山が険しく土地が狭いことがあって、25歩を満たすことができないところでは、照応するに明確であるようにすること。必ずしも距離の遠近を限定してはならない。

○72 火炬条
火炬は、乾燥した葦を芯にすること。・・・

○73 (放烟貯備条)
烟を放つために準備しておくものとして、艾〔よもぎ〕、藁、生柴(生木)等を採収し、それらを混ぜ合わせて烟を放つこと。・・・

○74 応火筒条
(後方からの)火に応答する火筒は、もし(通報が)東に向かっているならば、応じる烽の筒口は西に開くこと。もし西に向かっているならば、応じる筒口は東に開くこと。南北もこれに準じること。

○75 白日放烟条
昼に烟を放ち、夜に火を放つときには、まず筒の裏を見ること。到着した報せを確実に錯覚してないと確認してから、然る後に応答すること。もし昼に天が曇り、霧が起こって、烟を眺めても見えないような場合は、すぐに脚力を走らせて、互いに前方の烽に通告すること。霧が開けたところでは、式に依って烟を放つこと。烽を置いてあるところでは、烽の周囲2里(約1km)にわたって、みだりに烟火を放ってはならない。

○76 放烽条
烽を放つにあたって、違漏(烽の数を間違える、野焼きを見間違えて烽を放つ等の類)があったなら、元に放ったところ、伝報を失ってしまった状況を、速やかに所在の国司に報告すること。検察して事実がわかったならば、駅(やく)を発して奏聞すること。

非常に厳密です。本当であれば、信頼性が高い通信手段です。都の情勢などもすぐに伝わったと思います。

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