29日放送の『ブラタモリ』(NHK)では、前回の石垣島の訪問に続き、今回は竹富島でした。祭りの多さが驚きで、月に二回ぐらいとのことで、昔はもっと多かったということです。古い時代を残しています。
30日の日経新聞で、たまたま、日曜版で「旅する民俗学者、宮本常一」を目にしました。出雲八束郡片句浦のことが書いてあります。
当地には「四十二浦の潮汲み」という巡礼が今も残る。日本海の浦々の海水を竹の筒に注ぎ、土地の神社に参る習俗である。18世紀初頭にはすでに巡礼者がいた、と古文書は伝える。
伝統の継承を目的とする「島根半島四十二浦巡り再発見研究会」の木幡育夫事務局長によると、眼病治癒の願掛けとして広まったが、戦時中は出征兵士の無事を祈る親族もいたそうだ。・・・
記事で出てきていた『大隅半島民俗採訪録 出雲八束郡片句浦民俗聞書 (宮本常一著作集39)』、宮本 常一、未来社 (1995/3/1)を借りてきました。大隅半島と島根半島の部分二つがまとめられていて後半部分の「信仰その他」です。
〇四二浦の潮汲み 簸川郡東村の一畑薬師は、広く中国地方一帯に信仰せられている薬師さんであるが、特に眼の悪い人の信仰を集めている。その信仰形式はいろいろあるが、このあたりで行われているものに四二浦の潮汲みというのがある。
松江の東の福浦から、島根半島の北岸を大社まで行くと、浦が四二浦ある。その浦々の潮を、竹の筒に一滴か二滴ずつ汲んで集め、かつその土地の社に参り、浦々の家で門付けをなし、最後に一畑へ参るのである。これを四二浦の潮汲みといっている。一まわりで二週間はかかる。それを一〇回もくりかえす人があるそうである。なかなか一人ではできないので、眼の悪い人たちが二,三人くらいで組み、これに目のよいものがついて行くこともある。夜の泊まりはたいてい善根宿であるが、泊める方でも快く泊めてやる。まことに心をうたれる風景である。片句ではたいてい太師堂で泊まっていくそうである。御津から山に上がって尾根伝いに来ると、太師堂はちょうどよい休場になる。
こうして目のみえはじめた人もあるというが、それよりも信仰によって気持ちの救われるのが多いようである。
このあと、付記で、一畑信仰の話が書いてあります。
交易だけでなく、信仰によってこの地域では、人の移動があるのだと思いました。目の悪い人が良くなるようにとの薬師さんですが、『日本書紀』で似た話があります。 垂仁天皇の第一皇子の誉津別命(ほむつわけのみこと)は口がきけないのは、出雲大神の祟りとのことで、天皇は皇子を出雲に遣わして大神を拝させた。ところ帰りに話せるようになったという話です。出雲の霊力で口や目が治るのかなと思います。出雲の宗教的な力が絶大であるとのことになるかもしれません。
話がそれてしまいましたが、宮本常一氏の記録は昭和十四年十一月十七日から二十日までの記録ですが、異常に詳細に記されています。やはりこの地域でも行事が多いです。沖縄と似ていて、行事の合間に仕事をしているといった印象を受けます。二つの例だけですが、すべて生活は祭祀儀礼を中心に回っているのが、古代ではなかったかと思います。つまり、祭政一致どころではなくすべてが祭祀儀礼につながると考えた方が良いという気がします。
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