『鉄の考古学』窪田蔵郎、 雄山閣 (S48/5/25)を図書館から借りてきました。 「古代の文献に見る鉄器」にいろいろかいてあります。 神武天皇が道臣命(大伴氏の先祖)に命じて、八十梟師(やそたける)の残党を、忍坂の大室屋で饗応し、歌を合図に討伐した話があるようです(日本書紀 巻第三 神武天皇紀)。一応、だまし討ちを天皇がさせたということになってます。この時の歌についてですが、
「忍坂の大室屋に・・・みつみつし久米の子等が、頭槌(くぶつつい)、石槌(いしつい)もち 撃ちてし止やまむ」が古墳期ごろの、鉄剣時代とはいえ不足しがちな刀剣事情を的確にとらえている。つまり、頭槌剣は鉄製のもので、従軍中のごく少数の豪族、貴族がもち、一般の兵士つまり久米の子たちは石棒や木刀を使用していたのだろう。そして銅剣が現れていないが、このころにはすでに銅剣は儀器としての形式的なものとなり、実戦用としてはまったく用いられなくなっていたと思われる。
神武天皇を天武天皇と考えた場合、実際に書紀が編纂された時代にも、まだ鉄剣が不足していた事態があったのではという気がします。『続日本紀』元明天皇の霊亀元年(七一五)五月条に
又五兵之用。自古尚矣。服強懷柔。咸因武徳。
今六道諸國。營造器仗。不甚牢固。臨事何用。
自今以後。毎年貢樣。巡察使出日。細為校勘焉。
(http://www.umoregi.com/koten/syokunihongi/pdf/6.pdf )レ点とかはつけれませんでした。
とあります。日本語訳では
また、五兵(弓矢・殳(つえぼこ)・矛・戈・戟)の使用は古くから久しく行われている。強敵を服従させ、従順なものを手なずけるのも、みな武器に因っている。ところが、いま六道(七道のうち西海道を除く)の諸国において、営造する武器は、充分しっかりしたものではない。いざという時どうして役に立とうか。今後は毎年、製造した武器の見本を提出させ、巡察使が出向いた時、詳しく見本とひき比べて調べよ。(『続日本紀(上)全現代語訳』、宇治谷孟、講談社学術文庫、1992/6/10)
ということです。隼人や蝦夷の反乱に対して対応できていなかったように思われます。神武天皇の話も、古墳期ではなく、書紀の時代をかなり反映されているように感じました。ひょっとして、反乱でも石棒とか使われていた可能性もあり得ます。
神武天皇が飴を作るという話があります(神武即位前紀戌午年十月)。飴は「たがね」と読んでいます。意味は「アメ」になっています(『日本書紀①』新編日本古典文学全集2、小学館、1994/4/20)。「アメ」で天下を平定するとなってますが、どうだろうと疑問に思います。「たがね」を金属製品と理解する方が、この場面にあってると感じます。全体として、鉄不足がテーマになっているとすると、『鉄の考古学』の文が気になります。忍坂の久米の子等のあとに、
また、鉄鏃については同書の神武東征の描写、「八月甲子の朔戌辰天皇、かの菟田の高倉山の峰に上りまして、域の中を見下ろしたもう。時に国見岳の上に八十梟師有り。また女坂に女軍を置き、男坂に男軍を置き、墨坂に赫炭を置く。その女坂、男坂、墨坂の名は、これによりて起これり」と記されている。この赫炭は木刀や竹鏃の仕上げ処理に使用される一方、戦闘資材の剣や鏃を補給するための場所であって、鉄鋋(てってい)や折れた刀、徴発した農具などを小炭で焼いて応急的に鍛造していたものと思われる。
鉄不足の中での戦いを表しています。さらに、『鉄の考古学』では、
韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)を用いて日本統一を完成したという。 このような縁起談があることは、これも当時における鉄製武器の不足状態を端的に示しているものではなかろうか。つまり、鉄器は存在していたが、まだ量的に極めて少なく偏在していたことがわかるのである。
鉄剣の力は大きいという事です。長々と書いてきましたが、天武天皇の時代に、白村江の戦いで、鉄の入手が絶たれて、鉄不足になっていた可能性がでてきます。 節刀というのを思い出しましたが、これも鉄剣が貴重であるからこそ、天皇が自分の護身用としての刀を与えるという重要な儀式になると思われます。
布都御魂(ふつのみたま)ですが、(ウィキペディア(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%83%E9%83%BD%E5%BE%A1%E9%AD%82)
建御雷神(たけみかずちのかみ)はこれを用い、葦原中国(あしはらのなかつくに)を平定した。神武東征の折り、ナガスネヒコ誅伐に失敗し、熊野山中で危機に陥った時、高倉下が神武天皇の下に持参した剣が布都御魂で、その剣の霊力は軍勢を毒気から覚醒させ、活力を得てのちの戦争に勝利し、大和の征服に大いに役立ったとされる。
節刀
節刀(せっとう、せちとう)は、日本の歴史において、天皇が出征する将軍または遣唐使の大使に持たせた、任命の印としての刀。標の太刀(しるしのたち)、標剣(しるしのつるぎ)とも。「節」は符節(割り符)のことで、使臣が印として持つ物の意。任務を終了すると、天皇に返還された。(ウィキペディア(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AF%80%E5%88%80)
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