2021年3月19日金曜日

飛鳥・奈良時代の寺院伽藍配置

 寺院の伽藍配置は多様です。

・飛鳥寺(6世紀末)・・塔が中心で金堂が東・西・中(中央上)と3方を囲む形式。
・四天王寺(6世紀末)・・塔・金堂が一直線。
・川原寺(7世紀中頃)・・塔・西金堂が並び中金堂が(中央上)。
・法隆寺西院(7世紀後半)・・塔・金堂が左右。
・薬師寺(730)・・東塔・西塔が左右に並び、中央奥に金堂。
・東大寺(752)・・東塔・西塔が回廊の外に出る。

『カラー版図説 日本建築の歴史』、矢ヶ崎善太郎編、学芸出版社をぱらぱらと見ていて図があります。ばらばらで発展過程を明快には説明できない。

とありました。

実際、どうなってるのだろうと思っていました。
これは、仏教寺院の継続性を考えようとして混乱が生じてしまうのであって、仏教だけでなくゾロアスター教の寺院とかもあったと考えれば、気にしなくても良くなります。仏舎利を納めるのが塔、像を祀るのが金堂、教えを論ずるところが講堂であり、宗教(宗派か)によってその重要度は異なってきます。塔中心の配置は確実に仏教であろうと思われます。以前、夏見廃寺の塼仏が印象に残っていましたが、その後廃れてしまいました。これもこの時代は、乱立していた時代であって、『日本書紀』では仏教重視であるので、ほかの宗教のことを軽視しています。7世紀には種々の宗教が日本に伝来しているはずです。実際の8世紀の神仏の争いを7世紀の蘇我・物部氏の話にして、思い込まされていたのだという気がします。初期の仏教伝来は気にしないでおこうと思います。


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