2021年3月17日水曜日

天武天皇、ペルシャ人?

 前記事の続きです。

 乾豆波斯達阿が日本にまた戻ってくると言い残して西海の路に行ったとの話です。日本と唐の間の戦争状態になり戻れないのはわかりますが、戦後交渉で郭務悰らが日本に来ています。この時に乾豆波斯達阿もついて来なかったのかと思います。もちろん、そうすれば立場が異なって指導的地位からの発言ができます。強権的な改革も行なうことができます。天智天皇から天武天皇へのすげ替えも簡単です。もちろん天武天皇がペルシャ人なら自分で好き放題出来そうです。サーサーン朝ペルシアの滅亡とリンクして、日本の古代にも影響があったと考えられます。唐からの使者も、実際はペルシアと関係のある使者かもしれません。

 前記事に書きましたが、残された「舎衛」と「墮羅」の女たちは天武天皇に薬および珍しいものを捧げて進上したということです。つまり日本にある程度の期間いたので、乾豆波斯達阿と違い、日本語や日本のことに精通してきてるはずです。

 雄略天皇のエピソードのところに皇后に説明を聞いた話があります。そうかと思います。

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