2021年3月11日木曜日

ローマの街道網

  ギリシャやローマなどの世界史は良くわかってなく、ギリシャ・ローマから日本を類推するのはちょっと無理な気もしますが、『ローマから日本が見える』、塩野七生、株式会社集英社インターナショナル、二〇〇五年七月一九日第二刷発行、を図書館から借りてきました。 130頁に「なぜローマ人は街道を造ったのか」書かれています。ローマ防衛のソフトウェアとしての同盟関係の「ローマ連合」とハードウェアとしての街道網という話の後半です。

・・・  人間や馬車が頻繁に行き来することでできる自然の道ではなく、最初から計画を持って街道を敷設するのは、何もローマ人の独創ではありません。紀元前五世紀のペルシャ帝国にはペルシャ湾から地中海へ至る街道が整備されていて、歴史家ヘロドトスを驚かせています。  しかし、街道を単なる物資や人の輸送のためだけに利用するのではなく、もっと有機的に利揺するというアイデアを考え出したは、しかも、それをネットワーク化すれば飛躍的な効果が上がることに気が付いたのも、ひとえにローマ人の発明と言えるでしょう。  ローマの街道敷設は紀元前三一二年、つまり山岳民族のサムニウム族との戦争のさなかに始まります。最初に着工されたのは、今もイタリアに残る「アッピア街道」です。・・・ローマは自分が制覇した土地にあえて駐留軍を置かなかった。・・・となれば、もし戦争や紛争が起これば、基地から急派するしかない。・・この当時のローマ軍の駐屯地は首都ローマにしか存在しない。したがって、どうすれば一刻も早く目的地に到着できるかがカギになる。そこで生まれたのがローマ街道のアイデアであった。・・ローマ街道の第一の目的は、軍用道路であったというわけです。・・

 目的はそれだけでなく、経済活動の活性化、物心ともの交流も大事で運命共同体を目指したということのようです。  さて、街道のモデルはペルシャ帝国にあったとのことです。それらしきところを探すと、

ダレイオス王の時、整備された交通網、駅伝制ににより、早い場合は一日に320km離れた場所まで伝言を運ぶことができたのです。 世界の歴史2,古代ギリシャとアジアの文明、2003年2月、J.M。ロバーツ編、創元社

とありました。塩野七生氏の本では、古代シナに街道が存在しなかったわけではないが、万里の長城を築くことにエネルギーを注いだとのことで、それほどでもないような記述です。天武天皇の時代に街道の整備を考えていったはずなので、これがそれまでの海洋国家的なものからの大きな変化なので、どこからアイデアが出てきたのだろうかと思います。妄想ですが、ローマの街道から発想を得たとは思えませんが、ペルシャから得たとすれば面白いなと思います。

平城京の宮廷ではイラン人の役人も勤務していた

古事記の稗田阿礼はインド人か?



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