2021年3月6日土曜日

武烈天皇と雄略天皇

  武烈天皇の名は『日本書紀』では小泊瀬稚鷦鷯尊(おはつせのわかさざきのみこと)。雄略天皇の名、大泊瀬幼武尊(おおはつせわかたけるのみこと )と似ていて、大泊瀬と小泊瀬がペアになっています。仁徳天皇の名の大鷦鷯尊(おほさざきのみこと)に似てるとウィキペディアにありますが、仁徳天皇=孝徳天皇と考えられるので、地名の泊瀬の方が重要で(*1)、武烈天皇=雄略天皇=天武天皇と考えます。次は継体天皇になり、武烈天皇の代で断絶するので、書紀の編纂者はどうでもよいやと思ってたのか、適当な記述のようにも感じます。天武天皇の実態をそれほど表してはいないかもしれません。

*1:『日本書紀②』、日本古典文学全集3.小学館、での武烈天皇即位前記の注一に「小泊瀬」は雄略天皇の「大泊瀬」の対。宮号も「泊瀬朝倉宮」に対して「泊瀬列城宮」。「泊瀬」は奈良県桜井市初瀨あたりの地名による。・・雄略・仁徳天皇の名から作為された名で実在しない天皇とする説もある。

と書いてます。当然、実在しないということですが、天武天皇として考えられるところがあるのかということだろうと思います。上記の本の注に武烈八年三月条に出てくる「侏儒」が、天武紀四年にあるとあって書紀編纂者は天武紀を参照しているのかもしれないと思いました。

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