2021年3月6日土曜日

岡山県の神社

 『岡山県の歴史』、山川出版社、2012年3月30日第2版1刷発行 の気になるところがあります。75頁です。

式内社、吉備津神社

 その年の豊穣を祈願して神祇官が行なう国家的祭祀が祈年祭であるが、その祭にあたり、国家から供物がさがる神社を選定する作業が、祈年祭の創始(大宝令以降か)とともにはじまった。十世紀初頭までにリストアップされた官社が、『延喜式』神名帳に搭載されている三一三二社のいわゆる式内社である。岡山県に所在する式内社は、美作・備前・備中あわせて五五社で、いずれも国司が神祇官にかわって弊を進める国弊社である。
 三国に一つずつ名神大社と称される重視された神社がある。美作の中山神社、備前の安仁神社、備中の吉備津彦神社(現在の吉備津神社)である。
 式内社はいうまでもなく在地の神がまつられた社であるが、岡山県内には在地神とはみられない神社もある。たとえば備前国御野郡の天神社、伊勢神社、天計(あまはかり)神社などである。これらは律令国家側からもちこまれた神社のようにもみられるのであるが、それがいかなる事情によるのか、備前国御野郡に集中してあるのはなぜなのかなど興味ある研究課題であろう。

 これらの神社がどうして律令国家側から持ち込まれたかは私には不明です(伊勢神社はなんとなくわかります。他は天の字があるから?)。 『式内社調査報告書、第二十二巻山陽道』、皇學館大學出版部、昭和五十五年を見ると、 備前国の神社名で、鴨神社、宗形神社、大神神社などのなんだろうという神社があります。他の地域にもこのような神社がそれほどあるとは思ってないので、これらの神社はヤマトの勢力の痕跡であろうと想像されます。

 天武天皇の時代に吉備への侵攻が行なわれ、そのヤマトの連合勢力が拠点としたところが神社として残っていたという可能性になります。古い時代の神話ではなく、七世紀後半の話であって、辻褄があってきます。神社の由緒とか全然わかってないので、ピンぼけかもしれません。今後の課題になります。


吉備津彦と四道将軍

図の山城は七世紀後半のものです。この時代の吉備で、神社が関係ありそうです。

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