ウィキペディアで泉州を調べれば、中国と日本の両方に出てきます。白鳳文化のことを考えていて、南大阪に残る白鳳仏が気になりました。野中寺の銅造弥勒菩薩半跏思惟像などが残っています。日本オリジナルのものとは思えません。どこから伝来したのかということですが、中国の泉州から海を渡って来たものが、今の和泉の地域を経由してこれらの寺にもたらされ、泉がこの地の地名に移り、現在の和泉となったと考えることも可能と思います。中国の泉州ですが、「589年に隋朝が陳朝を平定すると泉州と改称、606年(大業2年)に閩州と改称された。」とあります。時代が異なり、大雑把すぎますが、瀬戸内海を通らずに、南海路を通り、直接的に交易していたその痕跡で和泉があるのかもしれません。泉の地名のついたのが、そこに泉があったというのは弱々しい気がします。あくまで中央の意識のもとで地方の名前が考えられるということで、泉があったとして当時の中央政権にその泉が貢献したとは思われません。
参考:ブログの和泉
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