2019年3月22日金曜日

神武天皇と八咫烏

八咫烏についてウィキペディアでは
「日本神話において、神武天皇を大和の橿原まで案内したとされており、導きの神として信仰されている。」
「咫(あた)は長さの単位で、親指と中指を広げた長さ(約18センチメートル)のことであり、八咫は144cmとなるが[5]、ここでいう八咫は単に「大きい」という意味である」
とあります。八咫の方は良しとして、カラスがなぜ神の使いのイメージなのか昔は変だなと思っていました。
同じくウィキペディアのカラスの項で、イメージとして
「また、古代には鳥葬の風習がかつてあった地域も世界には存在し、猛禽類やカラスなど肉食性の鳥類が天国へ魂を運ぶ、死の穢(けが)れを祓(はら)ってくれる、あるいは神の御使いであるなどの理由で神聖視されたという説もある。 」
とあります。私はこの説を採りたいと思います。昔は鳥葬が普通であり、それが土葬などに変化していき、カラスの神聖さが薄れていったと思います。墓の遺跡では、鳥葬の場合、その痕跡は残りにくいように思います。かなりの大雑把な感じでの話になりますが、平安時代の末法思想の頃、仏教が一般化し、埋葬の考え方が変わったかもしれないと思います。供養塔・墓として五輪塔が多く現れるのが平安時代末期からです。葬礼の形式ですが、古い時代の鳥葬を軽視しすぎであるかもしれません。
ウィキペディアの八咫烏に
「なお、八咫烏は『日本書紀』や『古事記』に登場するが、『日本書紀』では、同じ神武東征の場面で、金鵄(金色のトビ)が長髄彦との戦いで神武天皇を助けたともされるため、八咫烏と金鵄がしばしば同一視ないし混同される。」
とあります。すでにカラスのイメージが悪くなっていたのかもしれません。

追記:日本書紀と古事記の確認をしました。
・古事記中巻
高木大神より八咫烏の先導により吉野川に至る記事があります。
・日本書紀巻第三 神日本磐余彦天皇
天照大神が頭八咫烏《やたからす》を道案内にせよとのことです。
(これらは新編日本古典文学全集1,2より)
日本書紀では、後で、長髄彦との決戦で金色の鵄が飛んで来、この鳥の光で相手は戦意を喪失したということです。

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