奈良県飛鳥地方に残る石で作られた遺物・遺構で花崗岩製のものが多い。特異なものであって謎とされているとのことです。ペルシャ人のことを考えていて、松本清張氏の「火の路」が小説の中でゾロアスター教との関連を述べているとのことで、一度は借りたものの、500ページほどあり、返却したものをまた借りてきてようやく読みました。細かく取材されていて、飛ばしたところもありますが、なかなか面白かったです。いろいろと考えさせられます。最初のほうで、野沢さんという名前が出てきて実際は野村で、小説では、名前をきちんと出せないのかなと思いました。しかし史料的なことはきちんと書かれているようです。これらの石造物はペルシャのゾロアスター教が日本に入ってきてできたとの説のようです。石造物がペルシャの影響かどうかははっきりしませんがあったと考えるとすっきりします。
石造物は数があり、それも短期間のものですので、ペルシャから人が来たとしてグループであろうと思います。飛鳥地方は日本の中心であろうと書かれていますが、私は辺境の地であったろうと想像します。なぜ、ペルシャから飛鳥に集団でやってこなくてはならないか、切実な理由があったのかということです。「西教の火」の一部記述しますが、
紀元二二六年、波斯(ペルシャのこと)にササン王朝が興って火祆を国教と定めたため、一時この教えは中央アジアに盛行した。中国では南梁・北魏の間にはじめてこの名が聞こえ、北朝帝后の中には信奉する者もあり、これを胡天といった。六五一年、大食国(アラビア)が波斯を滅ぼし、中央アジアの祆教徒で東方に移住するものが多くなった。唐初には祆教徒をすこぶる優遇したので両京(長安・洛陽)および諸州にはみな祆祠があった。祆の文字の由来したのは、この時である。・・・
とあります。ウィキペディアの「ササン朝」では、六五一年より前から混乱があったようです。さらに「国の東方に遠征駐屯していた王子ペーローズとその軍はその地に留まり反撃の機会を窺い、さらに東方の唐の助勢を求め、自らが首都の長安まで赴いたりもしたが、上手く行かずに終息した。 」ともあります。難民となったペルシャの人たちは東方へ逃れ、海路を伝って、中国の江南そして、紀州や日本の泉州地域にやってきたかもしれません。そして陸路を通り、当時の辺境の地の飛鳥に住まいを当てられたようにも想像されます。そこで石造物を作ったりしたが次の代までつながらなかったということです。
ついでですが、主人公がイランに調査に出かけます。その中に鳥葬が書かれていました。区画が設けられていてカラスが空を飛ぶようです。ひょっとして飛鳥も辺境の地で鳥葬が行なわれて、空をカラスが飛び回っていたのかもしれないと思いました。普通に鳥が飛んでいても呼ばれることはないので、強烈な印象があって飛鳥となったかもしれません。イランではカラスをカラーグというようです。日本語と似ています。
松本清張作品をぱっと読んでの思いつきです。
飛鳥の石
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