2019年3月15日金曜日

新沢千塚古墳群で発掘されたガラス器

 松本清張氏の「火の路」に出てきました。ゾロアスター教との関連するかもしれないペルシャのガラス器が発掘されたとあります。実際にどうなのだろうかと思い、図書館で関係ありそうな本を探しました。一番新しい物では、橿原考古学研究所編、橿原考古学研究所論集第十七に「新沢千塚を考える」がありました。新沢千塚古墳群の報告書はまとめが、なぜかまとめがない。とのことです。あまりにも数が多くてまとめきれなかったようようです。埋葬施設は、大多数が木棺直葬という、墓穴に木棺を直接埋めるという方法のようです。横穴式石室はわずか四例しかないとのことです。副葬品については、鏡・甲冑・馬具。刀剣・須恵器など。倭系と帰化系にわけると、百二十六号墳ではペルシャのガラス器などがあり、帰化人系と推定されてきたがそうではないのでは無いかと言うことです。理由として古墳群内に前方後円墳があること、埴輪を持つ古墳が多いことなどあげられています。千塚は、在地倭人と帰化人が混在しているといえる。とのことです。古墳群全体の話で、特殊であるとは思いますが、百二十六号墳のことをもっと知りたいと思いました。
 日経新聞の電子版2014年7月25日付に奈良・古墳出土のガラス椀、ペルシャの高級品の可能性について書かれています。ガラス器がササン朝ペルシャ製であろうとのことです。新沢千塚古墳は五世紀のものとのことで、残念ながら七世紀のものではないようで、ササン朝滅亡の時ではありません。先の論文で、もう少し詳しく何か述べてもらいたかったと思います。

 マップ(© OpenStreetMap contributors)は和歌山から畝傍山への自転車ルートです。
図を見ると、紀ノ川沿いに沿って奈良の都に通ずるルート上にあるように見えてきます。だいたいの雰囲気はわかると思います。中国から朝鮮経由で伝わってきたことが暗黙の了解のようになっていて全然考えられていないようですが、南海ルートで和歌山に来るルートの方が自然に思います。この地の古代氏族で、東漢《やまとのあや》氏がいて、祖先は中国から帯方郡を経由してやってきて、漢王朝との関係を創作したと言われています。しかし、中国の江南などから直接に南海路をやってきたとすれば、それほど不自然ではありません。東漢氏が奈良の南西側に勢力圏があったのを何かで見ましたが、これに対応しています。すべて渡来経由が朝鮮からと考えられているのは問題かもしれません。ウィキペディアでは、シルクロード「草原の道「、「オアシスの道」、「海の道」とあるようです。残念ながら海の方は中国の起点は福建省泉州市がスタートとなっています。これも日本の方につながっても良いと思われてきました。




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