2019年1月6日日曜日

古事記と出雲神話

お正月に古事記を読破しようとしましたが、出来ませんでした。この日本古典文学全集1古事記、小学館の中に
解説があり、
即ち、阿礼に勅語して、帝皇日嗣と先代旧辞とを『誦み習はしめたまひき』。のところに
「討竅」を経たものの読みを習うこと。しかし、その資料は阿礼の読みが伴わないと、日本語の表現として受け取ることができないものであった。多くの「古字」(唐以前に行われていた古い字体)を含み、字種が多様で統一されていなかったからである。また、文体的にも、いわゆる漢文体や変体漢文体を中心とするが、不統一なものであり、この点でも読みを伴って初めて表現となるものであった。
とあります。サンスクリットは出てきてませんが、似たような感じの説明です。阿礼は記憶力抜群の人とはいってません。
別の本に、出雲神話のことが出てきていました。古事記と較べて日本書紀には出雲神話の比率が下がりるようです。古事記は、日本書紀との時代の差が現れているように思われてきました。古い時代にはヤマトの勢力と出雲の勢力が結びついていたことを想像させます。以前、安田の地名を調べたときに瀬戸内海側から出雲の方に、吉備国を避けて配置されています。吉備の西側です。安田が生まれた7世紀後半に吉備とヤマトの対立があり、対抗して出雲とヤマトの同盟関係を(ヤマト側の強圧的なものかもしれませんが)求めた結果かもしれません(安田の地名がその時につけられたと考えました)。日本の中でも対外政策に対立があり、新羅・唐に反発する勢力と友好的な勢力があり、吉備国は友好的であって、対抗してヤマトの勢力が吉備国を包囲し、出雲と結びつく必要があったことも妄想されます。古事記の時代には出雲との関係が重要であったのが、天武天皇の時代になり、変化したと思われます。日本書紀の時代には日本の統一が急激に進んでいったのかもしれません。
・出雲神話は7世紀の歴史を反映しているかもしれないこと。
・7世紀の日本は統一された国ではなかったかもしれないこと。
・古事記はあまり古い時代を示していないかもしれないこと。
広島県の安田とか山口県の安田とか、もう一度見直さないといけないような気はします。


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