2018年4月30日月曜日

広島県の安田

今回は、角川日本地名大辞典を見ています。
・安田<三次市吉舎町《みよししきさちょう》>
 駅では備後安田駅があります。三次盆地の東南、馬洗川支流の上下川を隔てていて、区別するため、三谿《みたに》安田とも言った。対岸の方は、向安田・甲奴《こうぬ》安田・上安田と区別したようです。村名としては、室町期から戦国期に見える。奥尾城跡があり、中世の山城で、この地方の山城としては余り大きくない。城主は安田氏という。吉舎の地名ですが、吉舎町の説明に、日本書紀の敏達天皇六年(五七七)に私部《きさべ》を置くというのが、それが皇后のため設けられた部であり、これに由来するという。
とあります。
 また甲奴町の説明にも、上安田の西福寺近辺から平安末期のものかと思われる布目の唐草文軒平瓦が出土しているとあります。関係はわかりませんが。


・安田<世羅郡世羅町>
戸張川とその支流域。記録では、安田は鎌倉~南北朝期に見える郷名とあります。それ以前は不明ですが、世羅町には古墳遺跡などがあり、まったく無関係とは言えないと思います。中安田に安田城(正国城)跡があると書いてます。


・安田<神石郡神石高原町>
 地名辞典では油木町安田となっていました。油木町の説明では、律令制下では当町域の郷名は詳らかではないとのことです。


・保田<庄原市東城町>
 やすだと読みます。江戸期~明治二二年の村名では安田村とのこと。村内の川は権現峠を分水嶺とし、高梁川水系と江の川水系に分かれ、瀬戸内海と日本海に流出する。とあります。雲がかかって見にくかったので地図表示にしています。


 安田は条里制と考えていましたが、少し自信がなくなってきました。広島県の安田の場所は山の中にあり、それほどの広い平坦地とは考えられません。条里制を展開するには不適な土地のように思われます。しかもたくさんあるので、偶然に安田があったとは考えられません。石見銀山街道とかありますが、これは江戸時代のことのようで、関係ないようです。出雲のあった日本海側と連絡するところに位置していることは確かですが、それほどの必要性があったのだろうかと思います。江戸時代の六の原製鉄場跡が、庄原市西城町柚木というところにあるようです。律令制の時代にも鉄の開発が行われ、バックヤード的に食料の生産が近くで行われ、それが安田の地名に残ったのかと思ったりもします。なぜ、この地域に安田があるのか、今後の課題としておきます。

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