周南市安田というところです。地名辞典では熊毛町大字安田に安田村があります。中世には国衙領安田保の地であったと思われる。とあります。
説明のうしろに、安田保《やすだほ》について、
現熊毛町大字安田付近と思われる国衙領、のち東大寺領。建久四年(一一九三)の将軍(源頼朝)家政所下文(現長門毛利家文書)に、
将軍家政所下 周防国安田保住人
補任下司職事
・・・・
とあるようです。
東大寺の再建にあたって、この地が組み込まれたように思われます。
この地域には、天王遺跡という弥生時代のものがあり、D地区に古墳時代後期の遺物包含層があると書いてあります。また岡山遺跡というところもあり、同じく弥生時代の遺跡のようです。古い時代から続いた地名と考えたいところです。
以上、平凡社の日本歴史地名大系36山口県の地名より。
角川日本地名辞典大辞典35山口県の、安田の項には
島田川中流右岸と同支流石光川・中村川の沿岸低地と丘陵地帯に位置する。地名の由来は未詳だが、「注進案」によると往古は桜田村と称し、いつの頃か安田村と呼ぶようになったという。また永正年間清尾村の高水大権現をこの地に勧請し、桜田大権現と呼ぶようになったため、村名を安田村と改めたという。・・・
とあります。しかし、永正年間は(一五〇四-一五二一)とあり、すでに安田保があるので、この解説もどうかとは思われます。
また、条里制はについては広い領域のものだけでなく、小さいところもあり、平野でなくても良さそうです。角川の条里遺構分布図(1439頁)には、島田川下流の島田というところに一〇町程度の印があり、離れていますが安田村のところも条里制の場所であっても良さそうです。
「山口県の歴史散歩」には島田川流域の高地性集落のコラムがあり、1950年から52年に島田川遺跡学術調査が行われたようです。島田川上流の岩国市玖珂町清水には巨大な環濠のある遺跡があったそうです。弥生時代の遺跡の近くに安田の地名があることは、律令体制のグループが、弥生時代から続く地域の近くに条里制の田を作っていき発展させたのか、それも何かしらの戦略的に重要な地域と古い時代から認識されていたことがあったのか、謎ではあります。青森県の三内丸山遺跡も近くに安田があります(遺跡と地名など、関係あるかと言ってしまえばそれまでですが)。
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