2018年5月4日金曜日

高知県の安田

高知県安芸郡安田町です。古くは安田村。
 安田川河口に位置し、東は田野村(現田野町)、西は唐浜《とうのはま》村。集落の中心は安田川西岸に発達した浦町で安田浜・安田浦ともよばれた。東岸の大野大地南縁には不動などの集落があり、海岸沿いには土佐街道(東街道)がある。「和名抄」所載の安田郷の中心と思われ、安田八幡宮境内から弥生式土器なども出土、古くから発達した地と考えられる。中世には港としても発達していたらしく、文安二年(一四四五)一年間に兵庫津に入港した廻船を記した「兵庫北関入舩納帳」に、安田浦に船籍を持つ一〇〇-二〇〇石積の廻船一艘が記される。積荷は木材である。・・・
 安田村の横に唐浜村があります。高知市に唐人町があり、ここは豊臣秀吉の朝鮮出兵の折、長宗我部元親が朝鮮から連れてきた朝鮮慶尚道秋月の城主ら三〇人を移住させたことによる。とあります。この唐浜村は天正一五年の安田庄検地帳で唐浜村とあるので、朝鮮出兵の前からあったことになります。
 角川日本地名大辞典には、唐浜の地名由来について、昔、家一軒に必ず一〇本以上の橙の木を植え、それから取った酢を貢物として藩に納めることになっていたため、「橙の浜」、「橙《とう》の浜」とよばれたという伝承がある。と書いています。
 私は素直に、遣唐使の航路にこの安田の場所が考えられており、その結果の地名と考えたいです。律令制を推し進めるグループにとって、瀬戸内海ルートが使えなくなった場合、太平洋側の航路の一つの戦略的なポイントと考えていたと想像します。これぐらいしか思いつきません。
 この地には、鎌倉時代末期から戦国時代にかけての安田城跡があり、麓には大木戸古墳群とよばれる七世紀の横穴式石室を有する円墳があったということです(高知県の歴史散歩)。


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