郵便番号からの検索では出てこなかったのですが、地図で島根県を見て安田があるのに気がつきました。いくつかあるようです。今回は角川の地名辞典から見ます。
まず良くわからないところから。
安田村(益田市)
明治二二年~昭和二七年の村名。明治二二年に津田・遠田二村の合併によって成立。大字は旧村名を継承、2大字を編成。村役場を大字遠田に置く。村名は最初、多並《たなみ》村といったという。とあります。なぜに安田となったか不明です。現在も安田小学校などがあるようです。
安田村(浜田市)
中世にあったようです。よくわからなかったのですが、平凡社の日本歴史地名大系には浜田市の熱田村のところに、中世には安田・阿田とも記された。とあります。沖縄県でのアダの読み方と通ずるものがあります。
一番本命らしきところです。
安田(伯太町)
安田山西麓の地で伯耆国に接し、伯太《はくた》川の中流域に位置する。古くは屋代《やしろ》郷のうち、「風土記」に「通路《かよいじ》。国の東の堺なる手間剗《てまのせき》に通うは四十一里一百八十歩なり」と記されている。手間剗は安田関付近に置かれていた。郷庁も同様安田関付近にあったものと推定される。地内には古代に創建されたと伝えられる坊床《ぼうどこ》、岡ノ原、古御堂の廃寺跡がある。十二世紀の初頭には石清水八幡宮の安田別宮が置かれていた。とあります。安田村は伯太町に含まれ、現在は安来市伯方町安田ということです。安田のつく地名が多く残っており、古代からの遺跡も多そうで、出雲国にいたる戦略ポイントであったように思われます。
地図では中央が伯方町安田です。左に出雲があります。出雲空港のマークが見えるかも知れません。
島根県の安田の分布(よくわからない所を含めて)を見ていると、どうも出雲を包囲しているように見えてきます。出雲の地域が律令制を推進グループと対立関係にあり、律令推進グループが圧力をかけているように思えます。出雲国の国譲り神話をもたらす状態を作っているように見えてきます。つまり、出雲国を併合したのが七世紀の話となってきます。
広島県の安田の分布を見ていると、こちらも吉備の国の西側にあり、近畿地方側と吉備を挟んでいるようにも思われます。これらの地域が、律令制を推進する勢力と対立していた可能性もあるように思われます。神話的な話で、吉備の国の反乱がありますが、これも実際は七世紀の話ではないかと考えたくなります。
七世紀が聖徳太子の時代ではなく、ヤマトタケルの時代であり、日本の統一を目指していた時代で、安田の地名はその痕跡の可能性があります。
妄想的な話はおいといても、七世紀には、安田の地名のところが、瀬戸内海側と日本海側を結ぶ交通路を確保するという戦略的な意味があったのは確実と思われます。
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