日本歴史地名大系第6巻山形県の地名よれば、「酒田市安田」というところがあります。
現在の安田に関連する地名は、上安田村、下安田村、安田興屋村、地蔵寺村の合体したものですが、内陸部の生石《おいし》地区には条里制の遺跡があるようであるものの、安田の地域には無さそうでみえます。
上安田村の項に、地内を郷野目堰《ごうのめ》が北東から南西に流れる。長享三年(1489)書写の一条八幡宮祭礼日記(市条八幡神社文書)に当地の安田殿が至徳元年(一三八四)堰を掘削したとある。
安田殿がどういう人のか不明であるが、律令制の時代とはほど遠いもので、この地が条里制の場所であることから地名となったとは言えないようです。
しかし、上記の本の総論によれば、山形県は高山に囲まれた山の県とのことで、大化以降、出羽の地は律令国家に組み込まれるのが遅れ、大化以前の寺院跡は未発見である。とのことです(この本の発行日は一九九〇年二月二六日初版第一刷となっている)。山形盆地や米沢盆地などが蝦夷の勢力範囲にあれば、日本海側から容易に侵入出来そうには無いように思われ、安田の地名が日本海沿岸の酒田市に留まったのも状況証拠的には合ってはいます。これだけでこじつけるのはどうかと思われる、かなり妄想的な話ではあります。いつも古い時代と安田がつながるものでは無いということです。
チェックマークが酒田市安田。田園地帯の中にあります。
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