飯山市の木島地区にある安田村があった。現在は長野県飯山市木島安田。
木島平と中野村とを限る丘陵が千曲川に迫る所、千曲川によって形成された自然堤防に接した集落。中世には戦略上の要害地で、安田の初見は明徳三年(一三九二)三月の書状にあるとのことです(日本歴史地名体系20長野県の地名、安田村の項)。条里制に関しては記述がありません。安田村は上新田村、山根村と合併して木島村となり、最終的には飯山市に編入されています。何ら古代につながるものはありませんが、飯山市のところを見ると、東山道・北陸道を結ぶ道筋にあたるため、古代の飯山地方は信濃への一つの入口として北陸道筋の影響を受けたと推定されるとあります。角川の日本地名大辞典20の長野県には飯山市の説明に、奥信濃の要衝とあります。東山道と北陸道の古道が通っていた当市域は、古代交通上の要地であるとともに、蝦夷対策の支援基地として役割を担っていたとも考えられる(飯山町史)。とありました。東の木島平村の根塚遺跡から朝鮮半島南部で製作されたと考えられる三本の鉄剣が出土したとのことです(長野県の歴史散歩20,山川出版社)。安田の地名が条里制のあったところを示し、唐突に中世に現れたものではないと思われます。どうして、このようなところに安田の地名があったのか、考えにくいですが、大和の律令制を推進する勢力にとって、この地域が重要なところで、古代より続く地域を戦略拠点としたように思えます。
地図で拡大しても、残念ながら安田の地名は出てきません。チェックマークの東側の整然としたところは区画整理で、条里制ではないようです。
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