古事記が7世紀の日本を反映しているとしています。このブログを最初の方からご覧になればわかってもらえると思いますが、行き当たりばったりで、統一的な考えのもとに進行しているわけではありません。ヤマトタケルが7世紀の人というのは、推古天皇の時代に遣隋使があったということで、実際は景行天皇の時代であったということです。古事記の範囲が基本的には7世紀の後半も含まれているということです。
何を支離滅裂なことを言っているんだと思われる方は下記をご覧ください。
2017年12月7日の現時点のまとめ。
今回、異なるのは、ヤマトの勢力は日本の各地へ軍事同盟を求めてヤマトタケルを派遣したのに対し、倭国(吉備の国)は遣隋使を派遣していたということで、日本の中に二つの勢力があったかもしれないということです。
日本書紀における遣隋使の記述がおかしいのは、実際には隋に使いを送っていなかったヤマトの勢力が、つじつまあわせで、倭国の遣隋使の話を取り込んだためで、男子王と推古天皇の矛盾なども多々ありますが、大した問題でないと考えたと思います。
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