それによると常城は、広島県芦品郡新市町大字常と府中市本山町にまたがる標高500メートルの火呑山にあり、・・とのことである。山がどこにあるのか不明であったが、現在の広島県福山市新市町常(〒 729-3107)付近であろうと考えてマーキングしてみた。こちらは地名に「常」があるので間違いがなかろうと思われます。一方、茨城は広島県福山市蔵王町(〒 721-0971)にあったようです。こちらも郡名から考えれば大幅にずれることはなさそうです。図の赤のポイントで左上が常城で右下が茨城を表しています。これらの山城の成立年代は不明ですが、吉備とヤマトの勢力の対立があり、ヤマトが出雲と7世紀に同盟関係を結び、この山城の西方にある世羅や三次などの出雲に連なる包囲網を築いていった時の吉備側の軍事的に対抗するためのの山城のように思えてきます。
安田仮説は本のタイトルのつもりでした。内容は安田という名字についての仮説です。 名前の発生が七世紀ごろと考えられ、この時代をきちんとしないといけないということで、古代史に首をつっこむことになりました。内容は昔と今では言ってることが違うことも多いです。現時点の考え方は以下のようなものです。 1.聖徳太子や推古天皇はいなかった。蘇我・物部の争いもなかった。 2.大化改新もなかったが、その後の話の展開で必要とされたのだろう。 3.血縁関係はどうだかわからないが、孝徳天皇・天智天皇・天武天皇・持統天皇は存在しただろう。天智天皇と持統天皇には親子関係があることは否定しない。 4.遣隋使を送った倭国は「大和」にはなく「吉備あたり」だろう。 5.天武天皇は渡来系の人で、出雲国譲りは天武天皇(大海人皇子)の時代のことだろう。 6.日本書紀は中国の「唐」向けの文書で、八世紀初めの日本の立場を良くしようとするために潤色が多くあるのだろう。 ・・・・・・
2019年1月12日土曜日
吉備の山城
それによると常城は、広島県芦品郡新市町大字常と府中市本山町にまたがる標高500メートルの火呑山にあり、・・とのことである。山がどこにあるのか不明であったが、現在の広島県福山市新市町常(〒 729-3107)付近であろうと考えてマーキングしてみた。こちらは地名に「常」があるので間違いがなかろうと思われます。一方、茨城は広島県福山市蔵王町(〒 721-0971)にあったようです。こちらも郡名から考えれば大幅にずれることはなさそうです。図の赤のポイントで左上が常城で右下が茨城を表しています。これらの山城の成立年代は不明ですが、吉備とヤマトの勢力の対立があり、ヤマトが出雲と7世紀に同盟関係を結び、この山城の西方にある世羅や三次などの出雲に連なる包囲網を築いていった時の吉備側の軍事的に対抗するためのの山城のように思えてきます。
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