2019年1月7日月曜日

妄想,7世紀日本

 朝鮮半島では、百済、新羅、高句麗の三国で形成されていたとき、どうして日本が統一された倭であったのか疑問を感じました。多分統一されてなかったと思います。小学生の時に歴史を習い、朝鮮半島の国に分かれているのに対し、日本は統一されていて、子供心に日本はすごいなと思ったことがあります。瞬間、あれどうして日本は統一されていたのかと感じたのですが、すぐに疑問は消えてしまい、年を重ねてきました。
 しかし、今は7世紀に日本は統一されていなくて、朝鮮半島のように、多数の国があったとして当然のように思われます。日本書紀はヤマトの勢力圏が中心としての話になっています。遣隋使の返使として裴世清が来たときには、日本の中でも多くの国があったことがうかがえます。複数の国があったとして、考えられるのが今の残っている国名です。紀国や肥国、吉備・阿波、出雲などです。これらの国名はヤマトの基準でつけられています。偏見で見ていますが、木や火は中立的な名前に、出雲は優遇された名前に、キビ・アワは瑞穂の国からして劣ったイメージの名前に感じます。つまり倭国だった地域がキビ・アワにおとしめられた可能性もあります。出雲は、初期の段階で同盟関係にあり、優遇されたということです。
 ヤマトタケルの遠征物語も同盟関係を求めた7世紀のものであったとして十分に成立するように思われてきました。ヤマトの勢力が唐・新羅と戦うために必死に軍事同盟関係を求めていった話にも思えます。日本書紀は唐に対するものであるので、神話の部分であっても唐に対する軍事同盟が目的だったとは書けません。東アジアの緊迫した情勢が日本神話に入ってきていることも考えないといけないかも知れません。古事記は7世紀の日本を、日本書紀は8世紀前半の日本の状況を反映して見直されたのかもしれないという妄想です。

昔のブログ記事(遣隋使)

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