『方言の地図帳(講談社学術文庫)』佐藤 亮一 (編集), 真田 信治 (著), 篠崎 晃一 (著), 徳川 宗賢 (著)、講談社 (2019/8/10)
334ページに「蜻蛉(とんぼ)」の分布図と説明があります。 似たような図はネットでは 国立国語研究所 『日本言語地図』地図画像 とんぼ(蜻蛉) にあります。
蜻蛉にはいろいろな種類があるが、総じて昔はアキヅと呼ばれていた。『古事記』の例からもよくわかるが、そもそもアキヅシマは、大和に掛かる枕詞でもあったのである。現在はアキツと澄むようになったが、方言形にはアケズやアケ-ジューのように、語尾の濁音が残っている。
『古事記』ですが、 雄略天皇が阿岐豆野にお出ましになって狩りをしたとき、天皇は御呉床に座っておられた時、虻が腕に食いつき、そこへ蜻蛉(あきづ)が飛んできて、その虻を食べて飛んでいきました。このとこから倭国を秋津洲と呼ぼうとなったそうです。雄略天皇=天武天皇と考えますので、このときに、日本をトンボの国と考えたということになります。秋を代表する虫がトンボであるということは、秋に群れなすトンボを稲田の豊穣にイメージしていたということで、日本の将来を瑞穂の国と考えていたと思われます。
さて、分布図に戻って、アケズやアケ-ジューは図の中の赤い点に示されています。めちゃくちゃ見にくいですが、多分あってると思います。つまり天武天皇以降、トンボにアキズというように広めた痕跡ということです。トンボが存在するということは、水田があったということで、日本全国を秋にトンボが飛び交うところ、秋津洲にしようと目指して条里制を拡大していったことにつながります。沖縄の地名に安田というところがあります。
古い時代、安田は「ヤスダ」ではなく、「アダ」(「アンダ」かもしれない)であったこと、この地に倭国の勢力が及んでいたこと、東北や沖縄が戦略拠点とされていたことなどがわかります。沖縄は中国への入り口的な感じで重要視されたと思います。
仮名文字で、カタカナの「ア」は阿弥陀様の「阿」ですが、ひらがなの「あ」は「安」です。当時の重要施策の条里制を示す「安田」の「安」が採用された可能性も、トンボの分布図から強く感じました。
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