2021年9月30日木曜日

有声音・無声音と有気音・無気音についての日本語

 音声を教える(国際交流基金日本語教授法シリーズ2)』国際交流基金, 磯村 一弘、ひつじ書房 (2009/2/18)を見ています。

まず、有声音と無声音の違いですが、声の有無ということで、のどにある声帯がふるえるかどうかで違いが出ます。手をのどに当てるか耳をふさいで、[wa wa wa wa]」と言うときと、[sa sa sa sa]と言うときで、振動の違いがわかります。[w]の時はずっと出ていて有声音、[s]の時はふるえが途切れ途切れなので、[s]は無声音ということで日本語はこの有声音と無声音を区別しているといういうです。

次に、有気音と無気音という、息があるなしの区別です。これは、日本語では意識しないので何のことかわかりません。今まで音声は、子音+母音と思っていましたが、そうではなかったのです。子音+有気音+母音ということです。日本語では有気音の時間が無かったので気がつかなかったということです。「プア~」というのが「プハア~」といった「ハ」の部分が有気音の感じだと思います(多分)。この有気音の時間をVOT(Voice Onset Time)と言うようです。 日本語では違いますが、この有気音と無気音の区別を中国語や韓国語では使っています。すると[da]ではVOTがマイナスとなり、区別に困ります。[ta]も[da]も同じ扱いになってしまいます。外国人話者で「た」と「だ」の区別がつきにくい原因になります。

この本では、読者に考える問題があります。その解答・解説に驚くべきことが書いてあります。150ページを引用します。

言語の中には、タイ語、上海語などのように、有声、無声無気、無声有気の三種類を区別するものがあります。このように、有声・無声を区別する言語であれば、日本語の有声音・無声音の区別はあまり問題にならないかもしれません。

一方、中国語(北京語)や韓国語では、これまで述べてきたように、有声・無声ではなく有気・無気が区別されています。このような言語では、日本語の有声と無声の区別が難しいことがありますので注意が必要です。また異音として有声音と無声音がどのように現れるかに気をつけるとよいでしょう。たとえば韓国語の場合、無気音は語頭に出てくると無声音で、語中にくると有声音で発音されるのが普通です。そのため、たとえば「爆弾(ばくだん)」とう単語は、韓国語話者の発音では「ばぐだん」のようになりやすいと言えます。

このことから、「た」と「だ」の区別がないアイヌ語は中国北方や朝鮮の影響を受けており、日本語は中国南方の影響を受けている(タイではないと思う)と想像されます。

2021年9月29日水曜日

かきくけこ

日本語のことを考えるときに、どうしても当たり前に思って見過ごすことが多いような気がします。 『音声を教える(国際交流基金日本語教授法シリーズ2)』国際交流基金, 磯村 一弘、ひつじ書房 (2009/2/18)

おそらく、外国から来た人に日本語を説明しようとしてる人がいて、その人のおかげで、図書館に置かれたと思います。

まず母音のアイウエオですが、 [a i ɯ e o]となっています。「ɯ」は、「u」ではなく、唇の丸めがない音を示しています。

アラビア語など、母音が3つの言語を母語とする学習者は、日本語の「イ」と「エ」、「ウ」と「オ」の区別が問題になることがあります。たとえば「にく」が「ねこ」のように聞こえてしまうことがあります。

想像を絶する話で、自分の固定観念の強いことを感じます。二重母音のことも書いてあります。[ai]は[a][i]ではっきりしないといけないということです。「タカイ」をゆっくり発音するときに、「ターカイ」ではなく、「ターカーイー」です。「アイ」→「エー」の変化も、日本語は二重母音を嫌っているからこそだと思います。

さて、カ行です。

[ka][kji][kɯ][ke][ko]

ここで「キ」の音が変ですが、これは

キャキュキョ
[kja][kjɯ][kjo]

に同じものが出てきます。[kj]は「k」が口蓋化した音で、何のことかというと、舌の盛り上がりが前の方に移動した時の音です。
「キャ→キ→キュ」と「キ」をはさんで連続して発音しても違和感を感じません。「キ」がほかの「キャ、キュ」音になじんでいます。ヤ行の「ヤ→イ→ユ」と発音するのも同じように思えて、ヤ行では「イ」音がなくなってしまったように思います。サ行で見ても同じで、イ列は口蓋化しているのがわかります。発音記号は省略しますが、「シ」は「シャ・シュ・ショ」の仲間です。ローマ字のイメージが強くて、子音+aiueoと思ってましたが、実際の「イ」列の音はは違うということがわかりました。

[ki]と[kji]を聞き分ける国の人が、その国の文字で日本語を書き留めれば、日本人の無意識の違いをチェックしてくるということです。上代特殊仮名遣いの問題もこのことを考えると、どうなんだろうと、改めて思います。

ついでに濁音ですが、二種類あるようです。

鼻濁音 からです。

まず、鼻濁音について一般的なことを書いてみます。「鼻濁音」とは、「が、ぎ、ぐ、げ、ご」のガ行の音を「んが、んぎ、んぐ、んげ、んご」というふうに、鼻の方へ抜いた発声法です。「か゚、き゚、く゚、け゚、こ゚」というように、カ行に半濁音をつけた表記もされるようです。

鼻濁音の良さは、日本語を響かせて美しい音として伝えるものであり、舞台芸術や映画の俳優、NHKなどテレビ・ラジオ局のアナウンサーの発音教育でも鼻濁音の使用が徹底されてきたようですが、最近の「鼻濁音(ガ行鼻音)」についての調査結果では、現在の日本人で鼻濁音を使っている人は全体の約2割に過ぎず、また、若い人ほど使用率が下がっているようです。東北地方と北陸地方の鼻濁音の使用率は60~70%と高いのですが、この地域でも若い人は鼻濁音を使用しないようです。

先の本では、ガ行鼻濁音はガ行の「正しい発音」であるという考えは今でも残っていて、・・・とあります。2009年の本なので現在はどうかはわかりませんが、必要に応じて「゛」の代わりに「゜」を用いて、「かか゚み」「にんけ゚ん」などと表示するというのは驚きです。「゜」の字が出てこないので先のネットの文字をコピーさせてもらいました。変わって、「゛」だったらすみません。変換の出しにくさから考えて、ガ行鼻濁音をあらわそうとする意欲の人は現代では少数者に思います。

2021年9月26日日曜日

アイヌ語の数

『アイヌ語の世界〈新装普及版〉』田村 すゞ子、吉川弘文館; 新装普及版 (2020/3/1)

を見ています。

アイヌ語では、ものがいくつあるかと言う時と、数をカウントする時で違っていて、1・2・3というのと、ひとつの物とか1個のものとかで使い分けがあるようです。日本語では「の」がつくようなものだと思います。ただし、一匹とか一羽とかの単位をつける区別はないようです。

31ページには、5に相当するのがasikで、合成語中に出てくる「手」を意味するaskeからであろうと書いてあって、10はwanはu-an《両方・ある》で、両手から来ていると、金田一(京助)以来言われているとのことです。手を使って数えていたことということになります。それから、20は、hotで、語源はわからないとあり、このあと数が増えるのは、二〇進法の扱いになります。40,60は二つの20、三つの20という言い方になります。

20が一単位になりますが、どういうことだろうと考えました。ここからは妄想ですが、手の指は10本ですが、足もいれれば、10本追加されるので計20本になります。一人が20本の指を持っていてこれが基準になります。五人で100まで表すことができます。1・2・3より2・4・6の方が数えるのが速いのと同じイメージです。 しかし、ちょっと問題があります。11では足の指10本と手の指1本で表すことになりますが、手の指1本は1です。足の指の分を示して11を示さないといけません。足の指は靴を履いていればわかりません。そこで足を交差させて10を表すことがあったのかと思いました。これで20まで表すことができます。 ばかばかしいとは思いますが、発想は中国語の指数字のクロスさせる例からです。中国語の指数字では人差し指と中指を交差させているのもあります。下のリンク先を見てください。

世界ではどんな数字が使われているのだろう?

この指数字では漢字の十を示しているようで、指が交差しています。しかし、違うような気がしてきます。指数字で六や八は、手を下向けてのイメージらしく、十の指文字も漢字と見るのは苦しいですが漢字から来ているように思えます。グーの形で十を示す例もあったので、確実なものではありません。アイヌ語の数で、足をクロスすることは面倒すぎます。よく考えれば、手の位置を上と下とかにして区別するだけでも1-10と11-20がわかります。結論的にはどうとでも言えることになりそうです。

さて、20が一つの単位になるというのは、ほかにもありそうです。英語で13から19までteenがつきます。12までは十二進法ですが、その後は二〇進法と考えたくなります。20が基準になってる言語も多いかもしれません。

また、手の話に戻りますが、ローマ数字も5であるVが基準で、その前後の数字ができています。4は5-1です。4を指で示すのに、1・2・3・4と進むより、パッと5を示して親指を折り曲げて4をしめした方が速いです。6も5+1ですので、Vを基準です。ローマ数字も、手の指からきていると思えます。
10はローマ数字ではXになります。これも片手がVなので、アイヌ的発想で、両手は縦にしてXになったとも言えます。

アイヌ語もローマ数字と考え方が似ていて、引き算の原理で、6から9まで、あといくつで10という意味の言葉で構成されているようです。 ローマとアイヌが親戚だと言うことではなく、数の数え方が基準からのプラスとマイナスで考えるアイヌ語の数え方が根源的なものなんだろうということです。

以前の「ローマ数字の起源」の記事を削除したい気がしてきますが、残しておきます。 

2021年9月24日金曜日

アイヌ語の印象、続き

 「アイヌ語の印象」で、アイヌ語は中国語が元であるということを言ってました。しかし、普通話(プートンホワ、中華人民共和国において公用語として定められた中国語)では、子音で終わることはないようです。日本語ではもちろん子音では終わりません。どこから子音で終わることになったのだと悩みましたが、 ウィキペディアの「入声」に

入声(にっしょう、にゅうせい)は、古代中国語の声調(四声)のうち、音節末子音が内破音 [p̚]、[t̚]、[k̚] で構成され、短く詰まって発音される音節を調類としたものをいう。韻尾の分類からは入声韻と呼ばれ、陰声韻(母音)・陽声韻(鼻音 [m]、[n]、[ŋ])と対立する。仄声に属する(仄声には他に上声と去声がある)。中古音では明確にこの音素を持っていたと考えられるが、現代中国語では方言によっては変化・消滅し、普通話では失われている。

中国語の音節構造上の音節末音に当たる部分を韻尾(いんび)と言いますが、ウィキペディアでは

中古音から現代音にいたる音韻変化を説明すれば、陽声韻では/-m/が/-n/に統合され、入声韻では両唇音/-p/、歯茎音/-t/、軟口蓋音/-k/の区別が無くなって声門音/ʔ/に統合され、やがては消滅して陰声韻となった。

私の理解では
今は普通話では終わりに子音はないが、昔は子音で終わることがあったということです。「子音で終わり有り」の古代中国語が伝わったとして、アイヌ語で子音で終わっても不思議ではないということになります。

逆に言うと、どうして日本語は母音で終わるのかといいうことになります。 現在では、英語で考えるとわかりやすいです。streetとかはカナでストリートになります。いくら発音がかっこよくてもカナになれば、sutori-toとかで、母音が含まれてしまいます。子音の連続や子音で終わる言葉はあらわせません。五十音図の世界にいる限りブロックされます。五十音図の前の時代では子音で終わることとかあった可能性はあります。

2021年9月23日木曜日

アイヌ語の印象

 アイヌ語と中国語が似ているという話です。

・英語のweに相当するもの:
アイヌ語: 一人称複数が相手を含まない。相手を含む場合は不定人称複数形(四人称か?)で表される。 中国語:我们(話し相手を含まない)、咱们(話相手を含む)、中国語を話す人すべてが理解してるわけではないようで、面倒なので我们を使いがちらしい。
・英語のyouに相当するもの
二人称:二種類あって、おまえとあなた様のような違いらしい。アイヌ語・中国語どちらにもある。

・「テニヲハ」がない。
どちらも当てはまります。これは決定的です。中国語は漢字を使うようになって「テニヲハ」がなくなったと考えますが、アイヌ語は文字を持ってません。朝鮮半島は膠着語の世界で、「テニヲハ」の世界です。朝鮮半島経由では、「テニヲハ」の影響を受けます。中国から直接にアイヌ語が日本にやってきたと考えるのが自然です。

アイヌ語が、古い時代に文字があったのが失われた可能性もありますので、このことは忘れてはいけないと思いますが。

従って中国語では語順が大事になる。アイヌ語ではこれを解決するのに、人称接辞を使う。動詞が人称変化する。「私が見る」で一つの言葉になるということです。 Svの形にすれば、
kani ek.
私  来る
ですが、不自然ということです。 k-ek.
私が-来る
となります。k-は私がの意味ですが、単独では存在できないということです。来るという動詞に私がの意味の人称接辞が含まれてます。

hapo ek.
母  来た
三人称の場合はsvです。母は主語です。三人称には動詞にだれがという情報はありません。
huci    ku-nukar.
おばあさん 私が-見た
文の後半で、私が見たとsvが示されるので、おばあさんは目的語になります。o(sv)の形です。見たとういう動詞に私がの意味がついて一体化しています。つまりSOVとかSVOとかで区別する範囲を超えています。 他動詞ではnukarは見るですが、a-en-nukarで あなたが私を見るといということになり、動詞が主語・目的語も合体してしまうので、紛れがありません。 とはいうものの、三人称は人称接辞がなさそうで、合体しないのでSOVの形になるようです。

話がそれましたが ・動詞に過去・現在とかの区別がないこと ・否定の場合に動詞の前に否定を表す言葉が置かれる なども中国語とアイヌ語で似ています。

これから、漢字の発音で、倭国での呉音が頭にあっての連想ですが、呉越同舟という言葉がひらめきました。日本で越前・越中・越後という国がありましたが、その元は越の国です。今まで山を越えた国と思ってましたが、中国の越からきた人のいる国かもしれないと思えてきます。呉越が滅んだときに、倭国には呉の人たちが、日本海側の出雲の国には越の人たちが住み着いたということではないでしょうか? 日本列島という舟に、呉越の人が乗り込んだということが、呉越同舟の意味に思えてきます。

呉越は中国の春秋時代で、紀元前の話ですので、時代的にはあってません。しかし、アイヌ語の起源を考えていて、似たような話は後世の時代でもありそうです。

参考
『アイヌ語の世界〈新装普及版〉』田村 すゞ子、 吉川弘文館; 新装普及版 (2020/2/27)
『アイヌ語文法の基礎』佐藤 知己、大学書林 (2008/4/1)

2021年9月22日水曜日

「ジズヂヅ」四つ仮名

 アイヌ語で、カとガとか、タとダの区別とかないということがあったので、話が飛んで、アイヌ語も東北弁なのかと思いつきました。「ズーズー弁」で方言の本に、「ジズヂヅ」の区別をしない地域の分布図があります。

四つ仮名(よつがな)で検索すると 日本語の方言における四つ仮名の統合状況 

があります。『お国ことばを知る方言の地図帳』佐藤 亮一監修(2002/7/20)では、ズーズー弁とジージー弁を区別しているようです。ズーズー弁は

東北方言(北奥羽方言・南奥羽方言)
雲伯方言(出雲弁、西伯耆弁)
富山弁、能登弁 の地域です。日本海側の地域です。

出雲と東北地方のつながりを感じます。 これは、出雲と平安京と関係があることからかなと思いました。 賀茂斎院跡(櫟谷七野神社) とか

平安時代の国策で東北開発があり、

坂上 田村麻呂(さかのうえ の たむらまろ)は、平安時代、二度にわたり征夷大将軍を勤めて蝦夷征討に功績を残した。(ウィキペディア)

などの人物が出てきます。つながりの地名例として 岩出→岩手があります。 桓武天皇と菅原氏 
以下にもおんなじことを言ってます。 【村がつく名字】、人名探究バラエティー 日本人のおなまえっ! 

東北と出雲のつながりですが、 出雲の東北進出プランに、平安京に遷都して、桓武天皇たちも乗ったことで、出雲の勢力も関係ができたのかと妄想できます。しかし、前の投稿記事にありましたが、DNAレベルでは、古墳時代から出雲の東北進出があったとすれば、平安時代に拡大化したと考えられます。

2021年9月21日火曜日

日本人の「完成」は古墳時代だった?

 朝日新聞デジタルの記事です。日経新聞で見ましたが有料になっていて詳しくは出てきませんでした。朝日新聞ではわかります。ありがたい。 https://news.yahoo.co.jp/articles/77c1bbcb94e1efa1ec0fe7a526c6df3d713f8dd6

金沢市で見つかった約1500年前の古墳時代の人骨のDNA解析から、縄文人や弥生人にはなく、現代日本人に見られる東アジア人特有の遺伝的な特徴が見つかった。日本人のルーツは、土着の縄文人と大陸から渡来した弥生人の混血説が有力だが、さらに大陸からの渡来が進んだ古墳時代になって古墳人が登場したことで、現代につながる祖先集団が初めて誕生したことを示唆している。

図があります。
現代日本人の成り立ち 

漢字の読み方で呉音がどうして日本に伝わったのかということですが、中国から直接に朝鮮半島を経由しないで伝わったと考えたいという願望があります。 稲作についても朝鮮経由ではなくダイレクトに日本に伝わったとする方がすっきりします。 発見されたDNAを持った人たちが呉音を伝えた可能性は十分あります。

2021年9月20日月曜日

中国語の膠着語としての痕跡?

 準備として、日本語の例で考えます。いい例が出てこないので、 「私は彼をどついた」という文で考えます。「彼を」は目的語、「どついた」は動詞です。「私は」は何だろうかということです。この文章の主題のようなものですが、主語といって良いのでしょうか。主題を彼に変更すると、英語的なセンスでは、「彼は私によってどつかれた」と受け身になります。しかし、「彼は、私がどついた」と言えます。「彼は」は主題ですが、主語ではありません。目的語です。「を」、「は」、「が」などで文章の中の名詞の関係を示しているのは確かで、「彼、私がどついた」でははっきりしません。

さて、中国語では、SVOの形と言われます。しかし、これは普通の形で、oを強調したい場合(主題としたい場合)、vの前に置かれます。これは、“把”構文と呼ばれます。 語順は「主語+“把”+目的語+動詞+その他」で、目的語を示すために“把”が付け加えられます。 詳しい説明は以下とかにあります。私は誤解してる可能性は十分ありますので注意してください。 
中国語の“把”構文の文法や用法を解説

この中で
「我 把 这本书 看 完 了」 の文例が中ほどにあります。
日本語訳:私はこの本を読み終えた
ですが、(私は)この本は読み終えた
と訳しても良さそうに見えます。“把”は、[bǎ]ですが、日本語の「は」のイメージです。中国語ではSVOでは「てにをは」的なものは出てきませんが、sovになると、唐突に、“把”が出てきて、膠着語の姿を示します。これは元々、中国語は膠着語であったからではと想像させます。そして日本語にも影響しているかもと思います。“把”の使用条件が厳しいので、断定できませんが、痕跡かもしれないというレベルの話です。

2021年9月19日日曜日

アイヌ語の母音

 アイヌ語の母音が5個であると知って、日本語との関連があるのではと思い、アイヌ語の本を借りてきました。

『CD付ニューエクスプレス アイヌ語』中川 裕、白水社 (2013/11/27)
です。
CDでは、アイウエオの発音があります。私の耳には日本語のように聞こえてきます。この発音から、古代のアイヌ語・日本語の共通点を探ろうとするのは無理がありそうです。せっかくなので、Praatというソフトの練習と思い、母音図を作ってみました。 やってみると微妙なところがあり、一筋縄ではいかないこともわかりました。以下に示しますが、ありふれた日本語のものと同じようです。図は「aiueo」と直線で結んでいます。 関連:「あ」の発音  日本語の母音、基本図 


この図の活用法は思いつきませんが、以下の説明とかできそうです。 「高い」の発音では「takai」で、終わりが「a→i」となります。発音を図で見ると「a→i」では途中に「e」があります。省エネ的な発音で「e」に縮約すると「タカイ→タケー」となります。また「高く」が「高う」になったとして、「a→u」の間に「o」があります。「タカウ→→タコー」も当然のように思えてきます。当たり前のことを言ってるだけかもしれませんが、個人的には納得しました。

アイヌ語では、開音節と呼ばれる子音+母音と、閉音節と呼ばれる子音+母音+子音の二種類があります。日本語と異なるところです。この閉音節の聞き取りがかなり困難というか、[sap][sat][sak]の聞き分けができません。アイヌ語を発音から見るのは難しそうです。

先の本で、4人称というのが出ています。1人称の複数ですが、話し相手を含む「私たち」です。2人称は話し相手を含みません。英語の「we]に相当するのが二種類ありということです。これは中国語で“我们”と“咱们”の二つあり、話し相手を含かどうかという区別があるのに似ています。探すと、中国語で位置関係を表す言葉が多くて面倒だなと思ったのがアイヌ語でも同様に多くあります。ほかにも似てるなと感じるものがあります。中国語がわかってないので偏見かもしれません。ただ、日本語とアイヌ語がどうつながっていたのか、考えておかないといけないとは思います。アイヌ語は見かけ素朴な言語のように見えますが、緻密な言語のように思えてきました。

2021年9月18日土曜日

倭国と呉音(続き)

 倭国から遣隋使を送り、その返礼史として裴 世清(はい せいせい、生没年不詳)が日本に来ています。その様子が隋書に記されています。 ウィキペディアの引用です。

『隋書』によれば、俀王多利思北孤は大業3年(607年)に第2回遣隋使を派遣した。煬帝はその国書に立腹したが、翌大業4年(608年)、文林郎である裴清(世については太宗(唐朝の二代目皇帝李世民)の諱世民のため避諱された)をその答礼使として派遣した。大海の都斯麻國(対馬)、東に一支国、竹斯国(筑紫)、そして東に進み、秦王国(辰王国?)に着いたという。そこの人々は華夏人(中国人)と同じで、夷州の地と言われるのは理解出来ないとしている。竹斯国から東はすべて俀であるという。俀王は小徳(冠位十二階の位)阿輩臺が数百人で迎え、10日後に大礼の哥多が200騎で警護した。王と会った清は王の歓迎のことばに皇帝の命を伝えた。その後清は使者とともに帰国した。

裴世清は朝鮮半島経由でやってきたようです。秦王国で華夏人(中国人)らしき人たちに会い、驚いています。この人たちは中国語を話したのではと思います。しかし、その発音は随からやってきた裴世清とは違っていたと想像します。これが呉音になるのではということです。妄想ですが、倭国は遣隋使を派遣する前に呉音を話す人とつながりを持っていた、つまり朝鮮半島を経由しないで直接的な交流で、漢字の発音に呉音が入ってきていたことが考えられます。

2021年9月17日金曜日

倭国と呉音

 放送大学のビデオをたまたま録画していて、興味を持ち、図書館から借りました。 後半部分は録画してなくて、テキストからです。 アジアと漢字文化 (放送大学教材)、宮本 徹、大西 克也、放送大学教育振興会 (2009/3/1)

読めないうちに返却期限がきて、195-197ページのメモ書きです。

「木」という字にはモクとボクという二つの字音がある。「材木」とい うときにはモクと読まれるし、「巨木」というときにはボクと読まれる だろう。しかし,この二つの熟語における「木」は、いずれも樹木という意味であって,そこに何ら違いはない。実際,先ほどの二つの「楽」が『広韻」の別々の箇所にその記載を見出せるのに対し、「木」については入声・第一屋韻の「木」小韻に, 「木 樹木。『説文』日,「木, 冒也。』......真下切。」と一箇所見えるのみである(第五巻)。おそらく 中国では,古今を通じて「木」には一種類の字音しか存在しなかったに違いない。ところが「木」の日本漢字音には,モクとボクという二つの字音が存在するのである。このように,日本漢字音には原則的に字義の区別に関与しない読み方の区別が存在する。これらはいくつかのグループ――これらはあたか も地層が堆積するように後の時代に伝承されてきたので、漢字音の「層」と呼ぶに分けることができるが,その中でも特に重要な位置を占めるのが呉音と漢音と呼ばれる層である。

(2) 漢字音の「層」と中国語原音
日本における漢字の受容は,朝鮮半島との頻繁な往来を通じ,四世紀 末~五世紀初頭以降,本格的に行われるようになったと考えられてい る。漢字の受容――おそらく,より正確には漢字によって記された漢文文献の将来――は,その後長期にわたって持続的に行われたが,それに伴い日本にはさまざまな段階の中国語原音が移植された。長期にわたる持続的な漢字の受容というのは,おそらく他の漢字文化圏においてもそう大きく異なるものではないであろう。
しかしながら,このことは直ちに当該地域の漢字音に「層」を形成す ることを意味しない。つまり,長期にわたる持続的な漢字の受容が「層」 形成の必要条件とはなっても,十分条件とはならないのである。同じく長期にわたって漢字を受容した朝鮮半島やベトナムでは、漢字音の「層」 は生み出されることはなかった。 呉音の母体となった中国語原音が話されていた地域,あるいはその移 入の経路については,いまだ十分解明されていない問題が残っている が、その「主層」を形成したのは、時間的には『切韻』に見られる狭義の中古音よりもいくぶん前の段階,空間的にも「切韻」の基礎方言とはやや隔たる地域の方言であったと考えられている。一方,漢音は,時間 的にはそれよりも下り,『切韻」の体系が大きな音韻変化を蒙った後の 唐代中期の段階,空間的には唐の都である長安地方の方言状況を反映していると考えられる。具体的資料で言えば,慧琳 一切経音義』(787~ 807年撰)に反映する体系が漢音に近いとされる(沼本氏前掲書)。 日本漢字音においては,このような中国語原音の違いに基づく漢字音 の差異が,「呉音」や「漢音」といった名称の下で個別的ではなく体系的に保存されている。まさしく、地層のごとく異質な漢字音の「層」が、互いに混じり合うことなく今日まで伝承されているのである。先ほど 例に挙げた「木」という漢字がモク(呉音)とボク(漢音)という二つ の音を備えているという問題は,実は中国語原音で「木」と同じ声母 m-を有していた漢字が,原則として呉音ではマ行,漢音では多くバ行 で反映するという個別字の枠を超えた体系的な問題として日本漢字音全体に広がっていく。 中国語原音を体系として保存していること,これが日本漢字音の特徴 だと言えるだろう。

ここで述べられていることは、呉音と漢音が別の層であるということと、朝鮮半島やベトナムでは見られない理由があったと言うことだと思います。つまり、倭国は呉音を取り入れたのに対し、日本は漢音を取り入れたこと関係があったと思います。
ウィキペディアの引用ですが、

旧唐書には日本について『倭国』と『日本国』の条がある。「日本」の名称に関して次の記述がある。
日本国は倭国の別種なり。 その国日辺にあるを以て、故に日本を以て名とす。 或いはいう、倭国自らその名の雅ならざるを悪み、改めて日本となすと。 或いはいう、日本は旧小国、倭国の地を併せたり、と。

どうして、倭国と日本は別種であると思われたかということですが、呉音と漢音の違いがあったのではと思います。英語の例で考えれば、イギリスとアメリカでは同じ英語といっても微妙に違い、発音で別の国であると認識できる可能性があります。文字だけではわからないのが、発音で違うと感じたのではと妄想します。倭国から日本へ政権交代したときに、倭国の人が全滅したのではなく、日本に取りこまれたということです。

2021年9月15日水曜日

「とんぼ」の方言分布図

 『方言の地図帳(講談社学術文庫)』佐藤 亮一 (編集), 真田 信治 (著), 篠崎 晃一 (著), 徳川 宗賢 (著)、講談社 (2019/8/10)

334ページに「蜻蛉(とんぼ)」の分布図と説明があります。 似たような図はネットでは 国立国語研究所 『日本言語地図』地図画像 とんぼ(蜻蛉) にあります。

蜻蛉にはいろいろな種類があるが、総じて昔はアキヅと呼ばれていた。『古事記』の例からもよくわかるが、そもそもアキヅシマは、大和に掛かる枕詞でもあったのである。現在はアキツと澄むようになったが、方言形にはアケズやアケ-ジューのように、語尾の濁音が残っている。

『古事記』ですが、 雄略天皇が阿岐豆野にお出ましになって狩りをしたとき、天皇は御呉床に座っておられた時、虻が腕に食いつき、そこへ蜻蛉(あきづ)が飛んできて、その虻を食べて飛んでいきました。このとこから倭国を秋津洲と呼ぼうとなったそうです。雄略天皇=天武天皇と考えますので、このときに、日本をトンボの国と考えたということになります。秋を代表する虫がトンボであるということは、秋に群れなすトンボを稲田の豊穣にイメージしていたということで、日本の将来を瑞穂の国と考えていたと思われます。

さて、分布図に戻って、アケズやアケ-ジューは図の中の赤い点に示されています。めちゃくちゃ見にくいですが、多分あってると思います。つまり天武天皇以降、トンボにアキズというように広めた痕跡ということです。トンボが存在するということは、水田があったということで、日本全国を秋にトンボが飛び交うところ、秋津洲にしようと目指して条里制を拡大していったことにつながります。沖縄の地名に安田というところがあります。

沖縄県の安田 

古い時代、安田は「ヤスダ」ではなく、「アダ」(「アンダ」かもしれない)であったこと、この地に倭国の勢力が及んでいたこと、東北や沖縄が戦略拠点とされていたことなどがわかります。沖縄は中国への入り口的な感じで重要視されたと思います。

仮名文字で、カタカナの「ア」は阿弥陀様の「阿」ですが、ひらがなの「あ」は「安」です。当時の重要施策の条里制を示す「安田」の「安」が採用された可能性も、トンボの分布図から強く感じました。

2021年9月13日月曜日

五十音図

 五十音図は「あかさたな」の表ですが、

『音とことばのふしぎな世界――メイド声から英語の達人まで』川原繁人、 岩波書店 (2015/11/6)
に規則的に並べられているとの説明があります。子音の並びですが、調音法・調音点で規則性をもって配置されているということです。調音とは発音のことで、発音の方法と口の中の発音が行われる点(部分)で子音の並びが説明されます。注目は母音ですが、舌の位置の高低の関係で、

「低母音(あ)→高母音(い、う)→中母音(え、お)」と並び、同じ高さの母音内では、「前舌母音→後舌母音」の順に並んでいるのです。(33ページ)

この五十音図の起源は紀元前四世紀!とあります。(21ページ)

驚くべきことに、五十音図の起源は、なんと紀元前四世紀にまでさかのぼると言われています。紀元前四世紀のパーニニ(Panini)という文法学者は、サンスクリット語の音声や文法全般の記述を多く手がけたとされています。彼は特に、サンスクリット語の発音のルールに関して、かなり詳細な記録を残しています。サンスクリット語の経典の読み方を、誰にでもわかるように体系的に記述したのもパーニニです。このパーニニの研究は、悉曇学(しったんがく)と呼ばれる中国の梵字の研究を経由して日本に伝わりました。これが五十音図の成立に影響したという説があります。

このあたりをもう少し詳しく知りたいと思ってたら、

『パーニニのサンスクリット文法と「五十音図」の形成について』 鈴木 一郎
恵泉女学園大学人文学部紀要 創刊号 pp.90-110 恵泉女学園大学 1989.03 

がありました。パーニニは、バラモン(梵: brāhmaṇa、婆羅門)という、インドのカースト制度の頂点に位置するバラモン教やヒンドゥー教の司祭階級の人です。多分、トンパの立場の人に相当すると思います。文字は宗教祭祀から生まれたのだと思います。五十音図でも「あ」から「ん」までです。「ん」は「m」とあったので、口を開けた状態から閉じた閉じた 状態までを表し、宇宙の真理を示すかは示すかまではわかりませんが発音のすべてをあらわすぐらいはぐらいは言えます。阿吽は、お寺の仁王像とか神社の狛犬とかで示される宗教的なものなので、五十音図も宗教的な雰囲気を持つものといえます。

日本からは,元興寺の道昭(25才)が,653年入唐し,玄弉(602664年)に師事し、起居をともにしたという。玄弉がインドから帰るのは 645年で,道昭が入唐した時にはすでに52才であった。数年遅れて観音寺の智通,智達らも長安に入り,玄弉の教えをうけている。当時玄弉は,イ ンドからもたらした膨大な量の梵語の経典の翻訳にあたっていたから,こ れらの留学生達が,その訳業に接しなかった筈はない。 しかしかれらの帰国後の日本は、大化の改新の後,白村江で唐軍に敗れ、国内では壬申の乱が起るなど、不安定な政情下にあり,悉曇学にまで遡って,仏典の研究をなすような雰囲気ではなかった。

しかし、仏典の研究は行われていた可能性はあったと思います。

奈良朝に入り、中国に滞在していた南インドの僧菩提遷那(Bodhisena) や林邑(今のベトナム)僧,仏哲が,736年来日している。 740年頃,各 地に国分寺がつくられ,経典が送られている。 753年には唐の高僧,鑑真 を迎え,翌年建立された大仏の開眼供養が行なわれ,更にその翌年、東大寺に戒壇が設けられ,僧尼に戒律を授けることが可能になった。その際, 「百万塔」がつくられ,百万基の木製の小塔の中に「陀羅尼経」一巻(4 種類あった)が納められて,奈良諸大寺に送られている。

法隆寺に残っている悉曇文字の古貝葉は天平年間(729-749年)に南インドから伝わったというから,菩提遷那の来日と時期が重なっている。 彼も南インド僧であった。また悪名高い道鏡(-772年)も,梵文に通じ ていて,菩提遷那や義淵(- 728年)から梵文を習ったというから,これ らを綜合すると道昭の入唐(653年)から,奈良朝末まで、約100年以上 の間に、悉曇学が日本に入って来ていなかった筈はない。しかし,この時期には,まだ仮名文学はできておらず,外国語である漢字を万葉仮名として使っていたのであるから,悉曇の学習も口伝えになされていたのであろう。本格的な音韻学の研究は空海,最澄,更に円仁を待たねばならない。しかし,サンスクリットの音韻研究とともに,もう一つ問題があった。それは漢字の音韻である。

遣唐使の派遣とともに,唐の首都長安を訪れる日本人達は,その発音が 全く異なることに気付き,日本での漢字の読み方を呉音から漢音に切替えようとしている。 720年の詔は,僧尼の発音の乱れを、唐僧,道栄や学僧勝暁などの指導 で修正させようとしている。しかし,すでに定着した呉音を変更するのは困難を極めたようである。それは当時,漢音は「正音」呉音は「和音」とよばれていたことからも理解できる。 平安朝に入り,延暦11年(792年), 漢音奨励の勅がでており,更に翌年、 学僧(年分度者)は漢音を修得しなければ,正式の僧として得度せしめない方式が打出され、5年後の798年には呉音禁止令まで発布され,仏教界 以外にもこれは適用されることとなった。 しかし,すでに長い年月にわたり,呉音は万葉仮名の中にも定着してい たし,読経もその伝承に従っていた上に、明法道(法律学)の用語も,呉音であったから,これを完全に漢音に切替えることは不可能に近かった。

この呉音か漢音かの区別を示すために作られるのが,漢字を略した形の片仮名であった。それは漢文の文章に「訓」や「駐」の形で書き込まれていったのである。そして正しい発音を示す方式としては、さきの「反切」 が用いられている。つまり仮名は当初漢字の発音を示す音素文字的な役割をもっていたといえよう。

五十音図は、七世紀に中国に留学した僧によって作られたとするのは無理があるようです。54ページにある五十音図の変遷の表で1000年頃には「イオアエウ」の順で、「アイウエオ」は1079年以降のようです。 確立したのは十二世紀中頃とあります。

五十音図をもとに仮名文字ができたのではなく、仮名文字を体系化して五十音図ができたということです。すぐ思い違いをするので注意がいります。

2021年9月11日土曜日

橘諸兄の発音

 NHKの番組のナレーションで、橘諸兄の発音で違和感がありました。多分、中国語を勉強して声調という音の高さの変化を意識するようになったことがあると思います。その時のことは忘れましたが、Praatといソフトがあるので遊んでみました。橘諸兄の発音です。諸兄はカットしています。

最初の左側は漢字のイメージというか花のイメージです。右側は仮名の棒読みです。声紋のところに薄い青の線がピッチで音の高さを示しています。左は、たちばなと下がり、諸兄になる転換のところで音が上がっています。右はちで下がりますが、平坦で音の高低は左に比べて小さいです。漢字と仮名で発音が変わっています。今は「たちばなのもろえ」を平坦な読み方をしているように思いますが、昔は「橘」は花のイメージで発音してたと思われ、ナレーションは由緒正しい読み方かもしれないです。中国から漢字が入ってきた時には、声調も導入されたと思います。しかし、仮名文字には声調の情報はありません。仮名文字の発達とともに声調は無くなっていったことが考えられます。ナシ族では話す言葉はナシ語ですが、読み書きは中国語です。声調は入ってしまいます。日本では仮名文字ができて、中国からの声調が広がるのをブロックしたと思えます。

Praatの使い方には不安がありますが、そんなに違ってはいないと思います。

ナシ語については「トンパ文字の神話」にあります。

2021年9月8日水曜日

「あ」の発音

 日本語の母音、基本図ではある範囲に広がっていました。人によって違うのだと解釈していましたが、そうではなく、一人の話者でも違いがあるということです。思い込んでいました。この母音図では口の形で音声が変わることを示していますが、イメージ的なものです。 しかし、
『ビジュアル音声学』川原 繁人、三省堂 (2018/6/29)
を見つけました。この本によれば、きちんと解析できます。母音図の縦軸が、舌の高低(あごの位置、口の開き具合)、横軸が舌の前後になっていますが、これが縦軸が第一フォルマント、横軸が第二フォルマントになります。フォルマントですが、音は高音・低音いろいろな成分の音でできていて、均一ではなく、強弱があります。ピーク値をフォルマントといい、低音側から第一、第二、第三・・とします。第一と第二だけ考えます。 なぜ、母音図がフォルマントに置き換わるかということですが、口腔内を箱にモデル化すると、縦のサイズが第一フォルマント、横のサイズが第二フォルマントに相当するようです(筆者が間違って理解してるかもしれません)。 注意することは、母音図の口のイメージに合わすため、軸のメモリが反転しています。数値的には普通は左下が原点(0,0)ですが図では右上が原点です。

以下の図はパソコンでPraatというソフトで音声データを処理し、エクセルで図を作りました。Praatは専門的なソフトで取っつきにくいところがありました。よくわからず、測定点は5点だけです。


軸はHzという周波数の単位で、左下に行くほど高音側になります。ブルーの点は「あ」の発音のつもりです。赤の点は「お」です。個人的な発音ですが「あ」の範囲がばらついています。逆に言えば、外国人から見るとなぜ違う発音なのに同じ「あ」なんだということになります。違う発音なのに、同じと無意識に思い込んでいたのは、衝撃的なことでした。本当は「赤」と「丘」の発音で「か」がokaは「お」に引きずられて、「か」が「お」に近い音になってるのではと思ったのですが、意識すると、「oka」でも大きく口を開いた発音になります。微妙で、きちんとデータを取るのは難しいと思いました。

2021年9月7日火曜日

天武天皇と英国王

 英語の「mouse」の発音の変化 の続きです。

『英語の歴史から考える 英文法の「なぜ」』朝尾幸次郎、大修館書店 (2019/3/12)の中の抜き書きです。

ノルマンの英国征服で、ウィリアムは国王となります。

ウイリアムは43歳で英語を学ぼうとしましたが、ものにすることはできませんでした。その後の国王も英語を学ぶことはなく、人を罵倒するときだけ英語を使うという王様もいたほどです。次に英語を話す国王が現れるのは300年先のことになります。110ページ

大母音推移とは、1400年頃から1600年頃の現象で、ノルマンの英国征服の時代とことなことなりますが、

大陸からイギリスに印刷術を導入したのはウィリアム・キャクストン(William Caxton、1422年頃 - 1491年*1)です。彼は1476年、ロンドンのウェストミンスターで印刷業を起こしました。キャクストンはロンドン地域で行われていた綴り字をもとに印刷を行い、その印刷術は綴り字を標準化する力となりました。中には間違って標準化されたものがあります。・・・ghostのhはもともとなかった・・・これはキャクストンが大陸から連れてきた印刷工が間違って植字したものです。大陸出身の植字工は英語にくわしくなく、どのように綴るかわからない場合、大陸風の綴りを持ち込むことがありました。このghostのhは今のベルギーあたり話されていたフラマン語gheestのhが持ち込まれたものです。(116ページ) *1:ウィキペディアと少し異なる

日本の古代の上代特殊仮名遣いの問題を思い出します。七世紀の日本ですので、この英語の変化で、フランス語の影響を受けた時期と印刷技術の発展の時期が違たり、全然違うといってもよいかもしれません。しかし、イギリスの英語を話せない国王と、日本語が(当時あったことが前提です)おぼつかなかったと想像している天武天皇が同じに見えてきます。具体的なものはないですが、なにかしらの似たようなことがあったはずです。天武天皇がペルシャ人としても抵抗感はなくなります。

2021年9月6日月曜日

英語の「mouse」の発音の変化

 文字が発音に影響する例になるかとのメモ書きです。 『英語の歴史から考える 英文法の「なぜ」』朝尾幸次郎、大修館書店 (2019/3/12)を見ています。

「mouse」の前にイギリスの歴史の知識から フランスのノルマンディー地方にデーン人が侵入してきました。フランス王はこれを認め、この地に住んだデーン人をノルマン人といいます。Northのmanで北の人の意味です。彼らは古ノルド語を捨てフランス語を使うようになり、フランス化していったとのことです。1066年頃、ノルマンの英国征服が起こり、フランス語による統治が行われ、支配者はフランス語、被支配者のアングロサクソンは英語という二言語社会となったとのことです。ところが1204年にフランスとの争いに敗れ、ノルマンディーを失います。その後、英語の復権が行われましたが、フランス語の影響を大きく受けています。 料理や軍事用語、法律・経済用語に多くあるようです。また英語に類義語を生むことになり、その例がいくつか示されています。 begin(始める) commence(開始する) buy(買う) purchase(購入する) 以下省略しますが、訳もちゃんと対応していて日本語もすごいなと思います。

文法の影響では、形容詞・副詞で-er/-estをつけるのとmore/mostを前につけるのがありますが、後者がフランス語の影響のようです。

さて、文字の話になりなります。印刷術が普及するまでは写字生(scribe)と呼ばれる人が書き写していて、フランス語風の綴りになってしまい、現代のqueen(女王)やquick(速い)は古英語ではcwen,cwicと綴っていてquを用いるのが一二世紀から一三世紀に表れ、一四世紀以降にqu-に統一されます。フランス語ではcに[k][s]の読みがあり、keepの古英語はcepan(ケーパン)と読むのが、フランス語では[s]で発音することになってしまい、これを防ぐために[k]をkの文字で表すようにしたということです。ところがcomeの古英語のcumanはフランス語でも[k]の発音なのでそのまま残り、英語ではkとcという不統一なことになったようです。 ほかにもあって、ノルマン写字生は〔u:〕をou と綴り、古英語のhus(家、フースと発音)はhous(e)に、mus(ねずみ、ムースと発音)はmous(e)になりました。 このmusの変化ですが、140ページに
古英語 → 中英語 → 大母音推移 → 近代英語
ムース →   ムース  →  メウス  → マウス 
mus   →  mous(e) →  mouse  → mouse

と変化したとの説明があります。しかしmousはモウスに近い発音でったのではと妄想します。
ムース →   モウス  →  メウス  → マウス
のような変化で、大母音推移によって変化したのとは違う気がします。

綴りの話の続きですが、文字のuの次にmnvなどが来ると縦線が連続して判読しにくくなり、uをoに置き換えられました。古英語のcuman(来る、クマンと発音)は中英語ではcumen(クメンと発音)、現代英語ではcome ですが、〔kʌ'm〕です。綴り字oを〔ʌ〕としています。つまりウの発音が文字oに引きずられてしまい、曖昧な発音になった気がします。

発音から文字が生まれたのは確かですが、その後に、文字に発音が影響され変化していったことがあり得ると思います。

大母音推移とは、1400年頃から1600年頃にかけ英語の長母音が大きく変化した現象です。中英語で強勢を持つ7つの母音がすべて変わったのですが、そのわけは解明されていないようです(この本によれば)。


2021年9月3日金曜日

日本語の母音、基本図

 母音で単純に「あいうえお」と思っていましたが、音声学の本に詳しく書かれています。短母音と長母音ががありますが、短母音の方を考えます.

IPA 国際音声字母(記号)で引用します。 

この図の見方は、縦が舌の高低を意味するとしてるものもありますが、直感的にはあごの位置の高低を示し、左右で舌の位置が口の中の前後方向を示しているようです。図の「狭」と「広」は、あごの上下移動で口の中が広くなったり狭くなったりすることを示しているようです。この図では母音を無限に表せますが、日本語では以下のようなものだと思います。



youtubeで 講義「音声学入門」(前川喜久雄)/言語学レクチャーシリーズ(試験版)Vol.2からのキャプチャです。

図のカタカナのところで、イ→エ→アと発音すれば、あごが下がってくるのがわかります。この図では唇の丸まったのとそうでないのと区別はありませんが、ア→オと発音すれば舌が口の奥に移動してるのがわかります。舌の上下方向と前後方向の移動によって母音の区別があります。この台形の枠は母音の限界を示しています。日本語の母音はぱっと見ですが、枠の中央付近に寄っているように見えます。母音が五音なので枠一杯に使わずともよいということです。中国語の発音で日本語よりも大げさに発音するよう入門書に書いてあります。「a」は日本語の「ア」より口を大きく開けて、「o」は日本語の「オ」よりも唇を丸めてとか。

図の「ア」なども、実際には区別あるのを、赤子の時からの反復練習で、なきものと思い込まされているので、外国語を学ぶと、枠外の母音に対応できず、混乱して脱落するのではと考えられます(個人的な感想です)。

図に戻って、東京外大の図の発音[a][ɑ]とか比べて聞くと違いがわかりますが、単独で聞くとどちらも「ア」に聞こえます。違う音ですが、単一の「ア」になっていったと思えてきます。話が飛躍してますが、単純化に進むクレオール語的な進化で「ア」に統一されたと想像します。