六国史のテキストデータベース、続日本紀にあります。
《天平二年(七三〇)三月辛卯【七】》○辛卯。大宰府言。大隅・薩摩両国百姓。建国以来。未曾班田。其所有田、悉是墾田。相承為佃。不願改動。若従班授。恐多喧訴。於是、随旧不動。各令自佃焉。
私は「続日本紀(上)全現代語訳、宇治谷孟、講談社版」を見ています。
天平2年3月7日 大宰府が言上した。
大隅・薩摩の人民は建国以来、いまだかって班田を受けたことがありません。かれらの所有地は荒地を開いた墾田で、先祖からうけついで耕作しており、田地を移動して耕作することを願っていません。もし班田収授を行えば、おそらくはさわがしい訴えが多くでるでしょう。そこで旧制のままで移動させず、それぞれ耕作させたいと思います。
とのことです。班田収授を柔軟に適用してくれというようなことだと思われます。実際にどうなったかは不明です。認められなくて、藤原広嗣の乱の起こる伏線かもしれません。上記の続日本紀をパラパラと見ていますが、どこにあったか不明になるのでそのメモです。
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