2017年11月7日火曜日

戸籍、正倉院展(H29)の展示を見て

 第六十九回正倉院展図録、No.40の下総国《しもうさのくに》葛飾郡《かつしかぐん》大島郷《おおしまごう》戸籍です。実物は良く見てなかったので、図録を見ています。この古文書は官営の写経所で作られた事務文書や帳簿の裏で、元は政府機関で使用済みの公文書の紙背を転用したもので す。従って、古い時代の養老五年(七百二十一年)のものとされています。
 現在の戸籍と考えると全くの別物です。現在ある名字が出てきません。はじめて聞いたような穴王部《あなほべ》の姓がほとんどのようです。動物の名前のついた人物が多いのが特徴とのことです。現存地名との類似から、東京都葛飾区柴又に否定されているとのことで、古い時代の庚午年籍とかとは異なってきていると考えるしかありません。
 思い出して、前年、第六十八回の図録を持ち出して見ました。No.57に、大宝二年(七百二年)に作成された御野国《みののくに》加毛郡《かもぐん》半布里《はにゅうり》戸籍がありました。現在の岐阜県加茂郡富加町羽生とその周辺に否定されるそうです。フォーマットが違うようですが、こちらの方が戸籍の雰囲気があります。戸主だけでなく戸口とかもありました。読解力の無さで所々しかわかりません。奴や婢の文字もありました。奴婢《ぬひ》(賤民)は男子が奴、女子が婢というそうです。これは、侵略していった地域で、元からいたその地域の人を農奴として取り込んだのではと思えてきます。
 今に残っている名字と、この時代の戸籍とは全然結びつかず、大問題として残っています。サンプル数が少ないということで、これから考えていこうと思います。

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