甲斐の方が先で、その後に上野・下野だと言ってましたが、違うかもしれません。
(http://yasudakasetu.blogspot.jp/2017/11/blog-post_18.html)
日本史総覧の国司の所見順を見ると、上野・下野が和銅元年(七〇三)に対して、甲斐は天平三年(七三一)で遅いです。律令制としての始まりは三〇年ほど違います。近江国でも近江朝廷があったので、国司の初出が早いように思いましたが、和銅元年です。ばらつ愛きがあるのかもしれません。信濃も和銅元年ですので、信濃→上野・下野のコースがあり、甲斐からのコースが関係が薄いように思われて来ました。
名字の各県別のデータを思い出して見ました。各県と周囲の県との名字で関係がどの程度あるかを見てます。山梨県は少し変わっていました。群馬県も見ましたが、どちらも奈良県とは薄い関係のようなので、奈良時代にこだわるものではないと思われます。
山梨県が、福井県→岐阜県→長野県や三重県→静岡県と結びついていることがわかり、西の方との関係が強そうなことは図で出ているようです。岡山県も関係ありそうです。この辺は誤差かもしれません。謎は残ったままです。
群馬県の図からは、茨城県の方とのつながりもあり、西は長野県の方ともつながりがあるようですが、山梨県・静岡県の方はそれほどでもないことはわかります。
所見年代は国司一覧より。このような本があることを知りませんでした。
日本史総覧Ⅱ 古代二・中世 監修 児玉、小西、竹内、新人物往来社 発行
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