万葉集づいています。図書館から
万葉集をどう読むかー「歌の発見」と漢字世界、高野志隆光著、東京大学出版会
を借りてきました。万葉集をテキストとして読むということですが、良くわかっていません。最後まで読めるかわかりませんが、最初の所に山名村碑文が取り上げられています。辛巳歳に長利の僧が母の黒売刀自のために文を記し定めたというもので、そばにある円墳の墓誌と考えられている。 とのことで、場所は群馬県高崎市で、辛巳歳が六百八十一年と考えられています。この年は天武天皇十年となるそうです。私の東国のイメージと異なるのでショックでした。辛巳《かのとみ、しんし》は、ウィキペディアで見れば、六百二十一年、六百八十一年、七百四十一年、八百一年付近で、私の願望としては七百四十一年になってほしいと思いますが、事実を受け入れないといけないようです。
近畿地方で、律令制が始まった時期にすでに東国に文字の文化や僧や寺ということで仏教が広まっていく時代であったということです。
この碑文は、上野三碑《こうずけさんぴ》の一つで、他の二つはこれよりも時代が後のようです。多胡碑は和銅四年(七百十一年)のもので、多胡郡を建郡したときのもののようで、律令制のグループがこの地に入ったということだろうと思います。もう一つの金井沢碑は、神亀三年(七百二十六年)に仏教に入信した内容らしいので、律令制が行き詰まってきて、その解決策の仏教による鎮護国家思想と対応していると思えます。律令制が全国的に広がるのに、時間がかかるのであるものの、瞬時に伝わった地域があったということだろうと解釈しておきます。変化が急なので、緻密に年代を考えないといけないように思われます。
https://kotobank.jp/word/上野三碑-62405
追記(H39.11.16)
高崎市の文化財ページより
山上碑及び古墳
http://www.city.takasaki.gunma.jp/docs/2013121600132/
金井沢碑
http://www.city.takasaki.gunma.jp/docs/2013121600231/
多胡碑
http://www.city.takasaki.gunma.jp/docs/2013121600286/
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