国宝がブームのようで、最近良くテレビとかで放送されます。タイトルのは滋賀・聖衆来迎寺のものです。
京都国立博物館、開館120周年記念 特別展覧会 国宝
2017年10月 3日 ~ 2017年11月26日
で展示されていました。
この聖衆来迎寺は、織田信長の比叡山延暦寺の焼き討ちの時に、延暦寺の念仏道場であったのにもかかわらず、除外され、その結果、多くの文化財が残った。その一つが鎌倉期とされる国宝のようです。除外された理由ですが、森蘭丸の父の墓がこの寺にあったためとの説があるそうです。蘭丸の父、森可成《もり よしなり》は、信長の命で、宇佐山に城を作り、現在は宇佐山城跡(志賀城跡)となっています。姉川の戦い(一五七〇年)で、信長が苦戦し、京都に退却した時に、森可成は坂本(現大津市坂本)で戦死、浅井・朝倉軍は宇佐山城に迫ったが、出城《でじろ》(端城《はじょう》)で、武藤五郎右衛門《むとう ごろうえもん》らによって、くいとめられたとのことです。その後、優勢となった信長は、浅井・朝倉軍が逃げ込んだ比叡山延暦寺の焼き討ちを、宇佐山城を拠点として行ったと伝えられる。とのことです。
引用は、滋賀県の歴史散歩(上)大津・湖南・甲賀、山川出版社。
国宝として残るには見えない歴史があるんだと、引用の本を見ていて思いました。わかりきったことかもしれませんが、メモ書きです。
追記
上記の本と内容が少し違う本を見つけました。私の読み違いかもしれません。
戦争の日本史13
信長の天下布武への道、谷口克広著、吉川弘文館
この巻末の略年表からの抜粋したものを以下に示します。森可成の部分を追加しています。
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