ウォーキングで、着込むと汗で蒸れるので、その対策が課題です。脇にスリットを入れればよいかと考えて、ベトナムの民族衣装であるアオザイに興味を持ったと思います。アオザイをウィキペディアで見ると、アオババというものもあるようです。リンクのチャイナドレスでは、中国の北方民族の衣装がチャイナドレスに影響を与え、それがベトナムのアオザイに伝わったとあります。しかし、アオババなど非常に風通しがよくて、南方系の服に思えます。古い時代からこのようなスタイルの服がこの地にあったと思います。それとズボン的なものでは裾をめくるのが面倒くさいはずで、アオザイ的な服装の方が水田稲作に向いているように思えます。ベトナムは漢字で越南です。中国越地方の南の意味です。中国南部とつながりがあります。水田稲作とつながりがありそうです。
魏志倭人伝ですが、ネットにありました。
古代史レポート、魏志倭人伝より
その引用です。
その風俗はみだらではない。男子は皆、(何もかぶらず)結った髪を露出しており、木綿で頭を縛り付けている。その着物は横幅が有り、ただ結び付けてつなげているだけで、ほとんど縫っていない。婦人はおでこを髪で覆い(=おかっぱ風)、折り曲げて結っている。上敷きのような衣をつくり、その中央に穴をあけ、そこに頭を入れて着ている。
貫頭衣もアオザイと同じで正装であって、面会の時に、詳しく尋ねていたのかもしれません。使いに対して礼節をもって対応する人の礼装の様子を描いていたような気もします。 またその後に続いて、以下のようなことが書かれています。
稲やカラムシを栽培し、養蚕する。紡いで目の細かいカラムシの布やカトリ絹、絹綿を生産している。その土地には牛、馬、虎、豹、羊、カササギがいない。兵器には矛、盾、木の弓を用いる。木の弓は下が短く上が長い。竹の矢は鉄のヤジリであったり、骨のヤジリであったり。持っている物、いない物は儋耳、朱崖(=中国・海南島)と同じである。
中国・海南島と同様との記述があります。つまり、これが正しければ、倭国も南方系の影響のある地域と認識されたということになります。邪馬台国が近畿か九州かという時に、九州の方にあったと考えるのが自然に思えてきます。また、稲作と貫頭衣の伝播が一体としてあったことも考えられます。
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