『「異形」の古墳 朝鮮半島の前方後円墳 (角川選書)』高田 貫太、KADOKAWA (2019/9/20)を図書館から借りてきて読んでます。 「異形」というのは大業なタイトルに思えますが、新しい前方後円墳の考え方が述べられています。 24ページ引用
この新たな議論の指摘で重要なことは三つある。ひとつは古墳の墳形大きさに、前方後円墳を頂点とする相当に厳密で一元的な政治秩序をよみとろうとすることはむずかしいのではないか、ということである。二つめは古墳造営の背後に、倭王権(構成する有力)のみならず、列島各地の地域社会の自律的で競合的な政治経済的な活動がみとめられる、という点である。そして三つめは、その競合的な関係の中で、前方後円墳、前方後方墳、円墳、方墳という、おおむね共通のコンセプトを共有しながらも相互に思想的な差異をふくみこむモニュメントが、日本列島各地にさかんに造営された、ということだ。
ここから、議論が始まるということです。確かに古墳造成は祭祀儀礼の一つですが、しょっちゅうあるものではありません。大林組の試算で長期間かかるとしたデータがありますが、すべて人力の現実的で無いものです。倭王権が長期にわたって支配してるとは思えません。銅鐸などでは毎年のように使用されるでしょうが、別物とすべきと思います。 地名についてわかりにくいですが、朝鮮半島南部と北九州のつながりについて述べられていると理解しました。 この地域は案外広い海峡の両側にあります。瀬戸内海や有明海・八代海の比ではありません。海洋文明があったということで、倭国の前方後円墳もこの地域に影響を与えたということでしょう。倭国はこの地域に鉄の入手を強く求めたことが想像されます。 問題に思うのは、水田稲作です。朝鮮半島から北部九州に伝来したとの説です。朝鮮半島で稲作が始まったわけでなく、中国から伝わったと考えられます。どのように朝鮮半島に伝わったのか示されていません。書くまでもなく常識的なことかもしれませんが、個人的には?だと思います。
八世紀には、渤海使が日本に来ています。渤海は朝鮮半島の北の国です。朝鮮半島の沿岸沿いではなく直接に日本海を経てやってきたようです。下記の本では、能登半島や、敦賀など。距離的には、中国と九州西部間の距離に見えます。時代が違いますが、中国から直接に稲作が日本に伝わったこともありうると思いました。
『韓国歴史地図』韓国教員大学歴史教育科、平凡社 (2006/11/11)、
「渤海の対外交易」の地図のところでは朝鮮半島の東西の海は、東海[日本海]、西海[黄海]と標示されています。『「異形」の古墳』を見ていて、朝鮮半島の歴史は政治問題化しそうで微妙なところがあるようです。
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