2022年1月15日土曜日

崇神紀・雄略紀からの感想

 丹波王国のことから、崇神紀・雄略紀を見ることになりました。特に雄略紀最後の方、22年の与謝の浦子伝説があります。この話は別巻にあるとしていますが、逸文『丹後風土記』に詳細に記されています。雄略紀の編纂にあたって、丹後関係の文書を見ていると思われます。雄略天皇は天武天皇ですので、神仙思想の神話が採用されています(と思う)。なぜ、浦島太郎の話が出てくるのかと感じますが、それほど唐突ではなく、丹後に好意的な流れで雄略紀が書かれています。雄略紀最後で、征新羅将軍に付き添った蝦夷が吉備国で、雄略天皇崩御で反乱を起こす話があります。吉備国から丹波国まで行って全滅させた話です。丹波国を好意的に記しているように感じました。 前にも記事にしてますが、 持統天皇の称制の時代を想像する など。

雄略天皇のあとの混乱の話から、天武天皇のあと、子だくさんだったので後継問題がややこしくなり、収拾がつかなくなってしまったことを妄想します。つまり邪馬台国と同じ状況です。卑弥呼=持統天皇です。その後、文武天皇が即位しますが、実際は混乱していたかもしれません。邪馬台国では、台与が後を継ぎます。これが、元明天皇(げんめいてんのう)、元正天皇(げんしょうてんのう)の二人の女帝に相当します。どうしてかはわかりませんが、あまりにも似ていています。カリスマ的な王の死後、偉大すぎたため、後継者が不在で、混乱が起こって当たり前というのかもしれません。

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