2022年1月9日日曜日

はだしの歴史

 タイトルは大げさすぎる気がします。『魏志倭人伝』では風俗として「皆徒跣」とあり、「みな、裸足である」と理解されています(ウィキペディアより)。古い時代だからそうかもしれないと思っていました。ところが、『NHK 8K 国宝へようこそ 洛中洛外図屛風』NHK出版 (2021/10/30)を見ていたら、どう見ても裸足のようです。裏書きでは、上杉本といわれるもので、作者は狩野永徳(1543~1590)、制作年は室町~桃山時代、1565年(永禄8)頃となっています。絵の部分的な解説で

・・・描かれている人たちは、みな、はだし。一説には、草履を描く姿が省略されているのではないか、という見方もあるようですが、そうとは言えないような気もします。実際、みな、はだしだったのではないか。

私もそうかもしれないと思います。草鞋または鞋(わらじ)であれば、ひもの部分があるので、図では線であらわされると思います。
わらじの図 

『洛中洛外図屏風(舟木本)』というのが、e国宝で見ることができます。 国立文化財機構所蔵 国宝・重要文化財 洛中洛外図屏風(舟木本)

草履のようなものを皆が履いています。

景観の情況から元和初年(1615)頃の作とされている。

急激に履き物が普及したのかもしれません。

上杉本の図では、目につきにくい履き物の可能性もあるかもしれません。足半(あしなか)とよばれる半分のサイズのものもあるようです。鎌倉・室町時代の武士階級が大いに利用とのことです。しかしこれでも厚みがあり見えると思います。
足半(あしなか) 

e国宝に『一遍上人伝絵巻 巻第七』があったので、こちらを見ると、何かしら履いている人と履いていない人のかき分けがあるようです。履いている人が多いようですが、乞食風の人は素足で、そうでなさそうな人にもはだしの人がいるように見えます。この図だけで判断するのは難しいですが。
『一遍上人伝絵巻 巻第七』 

鎌倉時代・正安元年(1299)

とあります。履いている人と履いていない人が混在していたことも考えられます。

しかし、根本的には

『100年前の写真で見る 世界の民族衣装』日経ナショナルジオグラフィック社 (2013/7/29)

の本では、気候が温暖そうなところでは、裸足の人が多く出てきています。百年前のことですが、多様な世界があったということです。現在からでは想像がつかないこともあると思いました。室町時代でははだしの人がいておかしくはないと思いました。

話が飛びますが、殿上人という、天皇の日常生活の場である清涼殿の殿上間に昇ること(昇殿)を許された者をあらわす言葉があります。想像ですが、これも元々は裸足で昇殿することを禁じたことから、履き物の有無がら階層化したのかとも思えてきます。ゴイサギ(五位鷺)とかも、人間とかに限らず、動物とかにも適用されてるのも関係あるのかもしれません。
殿上人


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