2021年1月9日土曜日

温羅伝説と百済王子

 話が行ったり来たりしていますが、忘れないうちにメモっときます。

『岡山園の歴史』県史33,山川出版社より   

ミコトが吉備を平定するため大和からくだってきたとき、最後まで抵抗したのがウラ(温羅)という鬼神だった。ウラはもと百済の王子、身長は一丈四尺(四.二四メートル)、空中を飛行し、性は凶暴、備中の新山の「鬼ノ城」という館に住み、民衆を苦しめた。ミコトは吉備の中山に布陣し、変幻自在の妖術を使うウラとたたかい、ついに鬼の頭をとった。両軍の軍場(いくさば)となった片岡山・楯筑・生石・矢喰宮・血吸川・鯉喰神社・首村など、観光吉備路の沿道の地名について由来や説話がこれら縁起類のなかで語りつがれている。・・

ここで「百済の王子」が出てきます。昔は気にしませんでしたが、今は、天武天皇が百済からの渡来人かもしれないと考えているので、どういうことだろうと思います。ミコト側が百済人であったのが、反転してしまったのかもしれません。たまたまウィキペディアを見ると百済の以外の説もあるようです。渡来人が関わっていたことが大事だったのかもしれません。天武天皇の渡来人説を暗示しているように思えます。

温羅(うら/おんら) 

伝承によると、温羅は異国から飛来して吉備に至り、製鉄技術を吉備地域へもたらして鬼ノ城を拠点として一帯を支配したという。吉備の人々は都へ出向いて窮状を訴えたが、温羅はヤマト王権が派遣した武将から逃げおおせて倒せなかった[1]。このため崇神天皇(第10代)は孝霊天皇(第7代)の子で四道将軍の1人の五十狭芹彦命を派遣した[1]。

温羅(うら) 「吉備冠者」「鬼神」とも。 鬼ノ城を拠点とした鬼。渡来人で空が飛べた、大男で怪力無双だった、大酒飲みだった等の逸話が伝わる。 出自についても出雲渡来説・九州渡来説・百済渡来説・加耶渡来説・新羅渡来説など複数の伝承がある。

ここでヤマト側ですが、崇神天皇が武将を派遣したとあります。「御肇国天皇 (はつくにしらすすめらみこと) 」と称されている開祖を示す天皇です。つまり神武天皇と同じく天武天皇のイメージの天皇です。吉備攻略の天皇は実際は天武天皇であったことを示しているように思われます。

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