2021年1月14日木曜日

養老と雄略天皇

 能に「養老」という演目があります。 演目事典:養老(ようろう) 

 岐阜県に養老町がありますが、町名起源は

親孝行な子供の話を聞き、当地へ行幸した元正天皇が若返りの滝の水(養老の滝またはその近くにある菊水泉とされる[1])を知り、元号を「養老」としたのが町名の由来である。(ウィキペディア養老町より)

養老(ようろう)は、日本の元号。霊亀の後、神亀の前。717年から724年までの期間を指す。この時代の天皇は元正天皇。(ウィキペディアより)

 養老は、霊亀、神亀という亀のついた年号にはさまってこの年号も祥瑞の年号と思われます。この地は、不破の関に近く、天武天皇の時代の温故知新的なイメージで元正天皇の行幸が行なわれ、この養老説話が「天武天皇=雄略天皇」というのに時代的に合致しています。

 『能楽手帳』、天野文夫著、角川ソフィア文庫の「養老」の項に

[素材]養老説話は『日本書紀』『十訓抄』などの諸文献に見えるが、本曲がよったのは養老寺の縁起らしい。製作の背景には、義満が明徳四年(一三九三)の伊勢神宮の帰途に養老の滝を見物したことにあるらしい。
[作意]本曲は人の寿命を延ばす霊泉出現を天下泰平を象徴する奇瑞とし、その発見者ある樵翁(しょうおう)が大君に霊水を献上するという設定を通して、当代の治世を賛美しようとした作品である。この「大君」は設定の上では雄略天皇であるが、実際には当代の将軍義満を念頭においた寓話であると思われる。・・・
[演出その他]・・・本曲がこのような地方の縁起に拠ったのは、近侍していた義満が養老の滝見物のおりに接した縁起を世阿弥が聞き知ったためと考えられる。・・・

 そうであろうかと思います。この曲の最後に山神が出てきて、君の御代を祝福しますが、君は舟で、庶民は水であるとか、水上が澄むときは川下も濁らない(トップが清廉だと世の中が治まるの意味)など述べています。つまり義満に説教していることになります。世阿弥作ですが、世阿弥単独の作ではお節介にすぎる気がします。これには二条良基の近臣のアイデアや史料の提供があったのではと想像します。つまり雄略天皇=天武天皇の理解が朝廷にあった可能性があります。

 『能楽手帳』に養老説話が『日本書紀』に見えるとありました。どこにあるのかと思います。日本書紀データベースで「養老」を検索したら、一ヵ所、朱鳥元年に「丙申、法忍僧・義照僧、爲養老各封卅戸。」とありました。意味は「丙申(二十八日)老後を扶養するために、それぞれ封(へひと)三十戸を与えた(日本書紀③、日本古典文学全集4)」とあるので、この部分の話とは違います。

 能楽に戻りますが、本巣(もとす)の郡(こおり)が出てきます。現在の本巣市です。現在は市域が広がってますが、北に福井県の大野市と接しています。

天正3年(1575年)、織田信長より一向一揆討伐の命を受けて、金森長近が美濃から大野に進攻。一揆平定後、長近は大野盆地が見渡せる亀山に大野城を、その東麓に城下町を造り始めた。これが現在の大野市街地の起こりである。(ウィキペディア大野市より)

 古い時代にさかのぼれませんが、北陸方面と繋がりがあります。 

0 件のコメント:

コメントを投稿